光明峯寺
こうみようぶじ
藤原道家が法性寺の地に営んだ御所で、金堂ほかの僧房も有した寺院でもあった。東福寺域(京都市東山区本町十五丁目)よりさらに東山に寄った山すそ一帯を占めていたと思われる。道家は光明峯寺殿、峯殿と称された。法性寺は道家の祖、忠平(貞信公)の建立で、道家は法性寺の地に別の寺である東福寺を営み、法性寺は漸次この東福寺に吸収されていったが、これと並んで新たに寺院を建てた。これが光明峯寺である。
〈京都・山城寺院神社大事典〉
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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