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法性寺 ほっしょうじ

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

法性寺
ほっしょうじ

京都市東山区にある浄土宗西山派の寺。延長3 (925) 年に藤原時平の発願によって創建される。寺名は,延暦寺座主法性房尊意の名に由来する。かつて,この寺は法性寺大路の名の残る地所 (鴨川の東,九条の南) にあった。

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デジタル大辞泉の解説

ほっしょう‐じ〔ホツシヤウ‐〕【法性寺】

京都市東山区にある浄土宗西山禅林寺派の寺。山号は、大悲山。延長3年(925)藤原忠平の創建。開山は天台座主法性房尊意。中世以後廃絶したが、明治になって尼寺として再興。本尊は日本には珍しい三面千手とよばれる千手観音立像で、国宝。

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世界大百科事典 第2版の解説

ほっしょうじ【法性寺】

平安時代の藤原氏の氏寺。藤原忠平の創建で,925年(延長3)新堂が完成し,承平年間(931‐938)に御願寺になった。寺域は現在の京都市東山区の東福寺一帯から西は鴨川,南は伏見区の稲荷山に及んでいた。代々摂関家の氏寺として,一族の子院が寺域内に営まれ,平安後期に栄えた。1239年(延応1)九条道家がこの地に東福寺を建立したので寺域は狭小となり,堂舎も五大堂を残してすべて失われた。今日では東福寺近辺の浄土宗の尼寺に寺名をとどめるだけである。

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大辞林 第三版の解説

ほっしょうじ【法性寺】

京都市東山区本町にある浄土宗西山禅林寺派の寺。925年藤原忠平の創建。開山は法性房尊意。藤原忠通とその子九条兼実が出家後住す。のち廃絶したが明治時代に尼寺として再興。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

法性寺
ほっしょうじ

京都市東山(ひがしやま)区本町(ほんまち)にある浄土宗西山(せいざん)禅林寺派の寺。大悲山(だいひざん)一音院(いっとんいん)と号する。925年(延長3)藤原忠平(ただひら)の建立で、天台座主(ざす)法性房尊意(そんい)を開山とする。代々円仁(えんにん)流の座主が任命され、定額(じょうがく)寺に列して栄えたが、中世以後になると衰退、明治になって観音堂に旧名を復して尼寺とした。本尊の千手(せんじゅ)観音像(国宝)は日本には珍しい「三面千手」とよばれるもので、二十七面四十二手の異形で、創建当初の作と推定される。[玉山成元]

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