光正寺古墳(読み)こうしようじこふん

日本歴史地名大系 「光正寺古墳」の解説

光正寺古墳
こうしようじこふん

[現在地名]宇美町光正寺三丁目

宇美川と須恵すえ川に挟まれた標高約四〇メートルの東西に延びる丘陵上にある古墳。国指定史跡。平成八年(一九九六)から三ヵ年にわたる発掘調査により全長五四メートル、後円部径三三・八メートル、二段目と三段目斜面に葺石を有する三段築成された古墳時代前期の前方後円墳で、糟屋郡内最大であることが確認され、糟屋の盟主的首長墳と推定されている。後円部墳頂には短期間のうちに継続して埋葬されたとみられる五基の主体部があり、大型箱式石棺墓・割竹形木棺墓・土器棺墓など、時期順に埋葬構造に変化が認められる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

国指定史跡ガイド 「光正寺古墳」の解説

こうしょうじこふん【光正寺古墳】


福岡県糟屋(かすや)郡宇美町光正寺にある古墳。博多湾に注ぐ宇美川右岸の丘陵上に営まれた前方後円墳。墳丘は前方部を西北に向け、全長約54m、後円部の径約34m、高さ約5m、前方部幅約20m、高さ約3m。2段築成の前方部と3段築成の後円部の比高が約3.5mで、前方部が低く狭い古式の墳形をしており、宇美川流域における古墳時代前半期の古墳として有力なものであることから、1975年(昭和50)に国の史跡に指定された。後円部には、箱式石棺3基、木棺1基、土器棺1基が納められている。後円部中央の第1主体部は、大型の箱式石棺で、能古島産と思われる玄武岩や若杉山産の滑石(かっせき)など、遠方から運ばれてきた石材が用いられている。第2主体部は小型の箱式石棺で、地元の石材を使用。第3主体部は木棺、第4主体部は土器棺、第5主体部も箱式石棺で、箱式石棺には赤色顔料ベンガラが塗布されていた。光正寺古墳は、糟屋郡内で最大規模の前方後円墳で、築造年代が『魏志倭人伝』の記された時代に近いことから不彌国(ふみこく)王の墓とも考えられている。現在、周辺は史跡公園として整備されており、築造当初の古墳の模型がガイダンス広場に5分の1のサイズで復元されている。JR香椎線須恵中央駅から徒歩約15分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

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