兜神社(読み)かぶとじんじや

日本歴史地名大系 「兜神社」の解説

兜神社
かぶとじんじや

[現在地名]川井村田代

去石さりいし兜明神かぶとみようじん嶽の山麓鎮座、品陀和気命を祀る。初め閉伊郡の地頭閉伊頼基の臣近能左七郎親良が区界くざかい館に拠って国境を守護するにあたり、根城ねじよう八幡宮(現宮古市)より勧請し鎮守として祀るという。のちに親良が頼基の死に殉じるに及んでその霊を合祀して以来、兜明神と称して閉伊七所明神の一つに数えられた(「尾崎大明神縁起」飛田文書)。社記には「親良能く民に接し、病馬あれば投薬、負傷の馬あれば治療を施し、後世産馬業上偉大なる効ありとして岩神の岳に遷座せしものならん」とある。

兜神社
かぶとじんじや

[現在地名]二ッ井町切石字山根

切石きりいしの中心部、羽州街道沿いの小高い山の中腹にある。祭神は伊達泰衡(藤原泰衡)。旧村社。

伝承によると、平泉の藤原氏滅亡の時、泰衡は逃れて切石に着いて兜を、さらに米代川を渡って薄井うすい村に鎧を置き、比内贄柵ひないにえのさく(現大館市)で河田次郎に殺された。菅江真澄は「みかべのよろひ」に「義経記に、かぶとの明神、よろひの明神とありつるは、こゝを書けるにや、そのふみは、最上路などのやうにもおもはれたり」と記す。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の兜神社の言及

【兜町】より

… 兜町という町名は,江戸時代にこの地の牧野氏邸内にあった兜塚・甲山(かぶとやま)にちなんでつけられたといわれている。兜塚(現在の兜神社内)の由来については次のような話が伝えられている。1050年(永承5)ころ,源義家は前九年の役に大軍をひきいて奥州に向かう途中,このあたりで暴風雨に見舞われ,鎧(よろい)1領をとって海中に投じ,竜神に手向けて難をのがれた(これにちなみ,この所を鎧ヶ淵と呼ぶようになったという)。…

※「兜神社」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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