入膳村(読み)にゆうぜんむら

日本歴史地名大系 「入膳村」の解説

入膳村
にゆうぜんむら

[現在地名]入善町入膳・東五十里ひがしいかり田中たなか

黒部川扇状地の扇央部から末端まで細長く延びており、東は八幡やはた村・君島きみじま村、西は吉原よしわら村・上野うわの村、南は青島あおしま村・神林新かんばやししん村。通称上田うわだ・五十里・田中を含んでいる。町並は北陸街道(下街道)を中心に発達していた。海岸に近い田中には古代の庄園遺跡のじょうべのま遺跡がある。大治年間(一一二六―三一)から入善庄という奈良東大寺領の庄園も存在していた。木曾義仲の軍勢に属し、平氏と戦った入善小太郎行重のことが「平家物語」などに記される。「普覚円光禅師伝」には、応永一一年(一四〇四)入善の藤氏に招かれた普覚円光が仏事を行ったのち、道路の付替えによって生じた神像の祟りを鎮めたことが記される。同一九年一〇月二二日には入善は前守護斯波家の被官甲斐左京亮入道の給地であったが棟別銭賦課のことが申渡されている(「足利将軍家御教書案」東寺百合文書)

宝永元年(一七〇四)の村名由来書上(清原家文書)によれば、村名をもとは金沢かなざわと称していたが、加賀金沢とまぎらわしいので近辺を入膳郷と称していたため入膳村としたという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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