入間川陣跡(読み)いるまがわのじんあと

日本歴史地名大系 「入間川陣跡」の解説

入間川陣跡
いるまがわのじんあと

文和二年(一三五三)七月将軍足利尊氏は鎌倉から上京するときに、東国統治と新田氏ら南朝方に対する押えのために入間川に陣営を設け、鎌倉公方足利基氏に執事畠山国清を付けて滞陣させた。以後基氏は貞治元年(一三六二)に当陣を離れるまで入間川殿と称された(「鎌倉大日記」生田繁氏蔵)。陣が置かれたのは入間川右岸の高台上、現入間川二丁目の徳林とくりん寺周辺とされているが遺構は不明。入間川の地は鎌倉街道上道の入間川渡河地点に位置し、交通上の要衝であった。基氏は同年七月二八日に鎌倉を発ち(鶴岡社務記録)、八月上旬には武蔵国府(現東京都府中市)に滞在して諸将着到を待ち、それより入間川陣に入ったものと思われる(文和二年九月日「烟田時幹着到状」烟田文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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