出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
南北朝時代の南朝方の武将。義貞(よしさだ)の子。足利尊氏(あしかがたかうじ)・直義(ただよし)兄弟の不和から直義が殺された直後の1352年(正平7・文和1)、足利方の混乱に乗じ、弟義宗(よしむね)や越後(えちご)、上野(こうずけ)の一族とともに上野に挙兵、一時は鎌倉を落として関東公方(くぼう)足利基氏(もとうじ)を追うが、尊氏に敗れ越後に逃れる。58年(正平13・延文3)尊氏の死の直後に再度挙兵したが、武蔵(むさし)国多摩川矢口渡(たまがわやぐちのわたし)で謀殺された。義興横死の顛末(てんまつ)は、義興の怨霊(おんりょう)のたたりの伝説とともに長く語り継がれ、江戸時代には平賀源内(ひらがげんない)によって『神霊矢口渡』として戯曲化された。
[千々和到]
1331~58.10.10
南北朝期の武将。新田義貞の子。南朝方として関東で活動。1352年(文和元・正平7)後醍醐天皇の皇子宗良親王を擁し,異母弟義宗らとともに上野で挙兵。鎌倉に進撃して一時これを占領。ついで武蔵各地で足利尊氏の兵と戦ったが敗れ(武蔵野合戦),越後に退いた。のち再び関東で活動したが,58年(延文3・正平13)関東執事畠山国清の謀略にかかり,多摩川の矢口渡(現,東京都大田区か)で殺害された。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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