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新田義興 にったよしおき

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

新田義興
にったよしおき

[生]元弘1=元徳3(1331)
[没]正平13=延文3(1358).10.10. 武蔵
南北朝時代の武将。父は義貞。南朝方に属した。従五位下左兵衛佐。正平7=文和1 (1352) 年に弟義宗とともに関東で足利方と戦い,一時は鎌倉を占拠した。のちに多摩川矢口ノ渡 (やぐちのわたし) で敵にはかられて自殺。

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出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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デジタル大辞泉の解説

にった‐よしおき【新田義興】

[1331~1358]南北朝時代の武将。義貞の二男。関東でしばしば北朝方と戦ったが、足利尊氏(あしかがたかうじ)らに敗れて越後に逃れた。のち、足利方の策により、武蔵国多摩川の矢口の渡で謀殺された。

出典|小学館
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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

新田義興 にった-よしおき

1331-1358 南北朝時代の武将。
元徳3=元弘(げんこう)元年生まれ。新田義貞の次男。観応(かんのう)3=正平(しょうへい)7年足利尊氏が弟直義(ただよし)を殺したあとの混乱に乗じて弟義宗らと上野(こうずけ)(群馬県)で挙兵,一時は鎌倉をおとしたが,尊氏に敗れて越後(えちご)にのがれる。延文3=正平13年10月10日多摩川の矢口渡(やぐちのわたし)で謀殺された。28歳。平賀源内によって「神霊矢口渡」として戯曲化された。

出典|講談社
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朝日日本歴史人物事典の解説

新田義興

没年:延文3/正平13.10.10(1358.11.11)
生年:元徳3/元弘1(1331)
南北朝時代の武将。義貞の次男。従五位下,左近衛佐。建武4/延元2(1337)年北畠顕家が足利尊氏らを討つために上洛の折,その軍勢に加わり,功をあげたと伝えられる。父義貞が討死したのちも東国にあり,そこで南朝方として活躍する。観応の擾乱の折,文和1/正平7(1352)年に足利直義派の上杉憲顕と結んで,宗良親王を奉じて上野国(群馬県)で兵をあげた。上野守護宇都宮氏の守護代らの軍勢を破り,武蔵に進み,さらに進んで鎌倉を占拠して,鎌倉公方足利基氏を鎌倉から追った。直義との決戦のため,畿内から東下してきた尊氏軍と武蔵の各所で激戦を展開したが,利なく敗れて越後に逃れた。その後,東国各地で攪乱工作を展開して,鎌倉府軍を混乱させた。そのため鎌倉府執事で武蔵国守護であった畠山国清は義興討伐に腐心し,謀略を用いて殺害したと伝えられる。『太平記』によれば,国清は竹沢右京亮に命じて義興に近付かせ,江戸遠江守と共謀して,多摩川の矢口の渡しで謀殺したという。義興の死により東国の南朝方は一掃された。<参考文献>群馬県教育会編『新田義貞公根本史料

(伊藤喜良)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

にったよしおき【新田義興】

1331‐58(元弘1‐正平13∥延文3)
南北朝期の武将。義貞の妾腹の子。1337年(延元2∥建武4)陸奥より北畠顕家が西上したとき,東国の兵を率いてこれに応じ,数度の合戦で武名をあらわした。後醍醐天皇はこれを賞したが,父義貞はうとんじた。52年(正平7∥文和1)には一族の義宗・義治と鎌倉を攻め,足利尊氏・基氏父子を追い払って,一時この地を占拠するなどの戦績をあげたが,58年武蔵矢口ノ渡で謀殺された。【森 茂暁】

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大辞林 第三版の解説

にったよしおき【新田義興】

1331~1358) 南北朝時代の武将。義貞の子。1352年弟義宗とともに上野国に挙兵、足利基氏を追って一時鎌倉を奪ったが、多摩川矢口渡やぐちのわたしで伏兵にあって自刃。

出典|三省堂
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

新田義興
にったよしおき
(1331―1358)

南北朝時代の南朝方の武将。義貞(よしさだ)の子。足利尊氏(あしかがたかうじ)・直義(ただよし)兄弟の不和から直義が殺された直後の1352年(正平7・文和1)、足利方の混乱に乗じ、弟義宗(よしむね)や越後(えちご)、上野(こうずけ)の一族とともに上野に挙兵、一時は鎌倉を落として関東公方(くぼう)足利基氏(もとうじ)を追うが、尊氏に敗れ越後に逃れる。58年(正平13・延文3)尊氏の死の直後に再度挙兵したが、武蔵(むさし)国多摩川矢口渡(たまがわやぐちのわたし)で謀殺された。義興横死の顛末(てんまつ)は、義興の怨霊(おんりょう)のたたりの伝説とともに長く語り継がれ、江戸時代には平賀源内(ひらがげんない)によって『神霊矢口渡』として戯曲化された。[千々和到]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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