改訂新版 世界大百科事典 「全評」の意味・わかりやすい解説
全評 (ぜんぴょう)
日本労働組合全国評議会の略称。1934年11月18日,満州事変後の労働戦線の右翼的再編に対抗し,合法左翼組合の全労統一全国会議(加藤勘十,高野実ほか)と日本労働組合総評議会(総評。山花秀雄,田部井健次ほか)とが合同し,樺太から九州に至る12団体58組合6603人の参加によって結成された(委員長・加藤,書記長・田部井)。全協が事実上消滅したあと,〈階級的労働組合の全線統一〉をめざし,合法左翼系労働組合の全国組織として,反ファッショ戦線の統一や労働争議の指導に活発な活動を展開した。35年大阪港南地方労働者より起こった全労総同盟合同運動(1936年1月全労と総同盟は合同して全日本労働総同盟=全総を結成)に際し,全合同(全組合の統一)を企図したが成功せず,全労・総同盟のみの単独合同に終わった。36年2月総選挙で加藤委員長を衆議院に送り(全国最高点当選),5月の労農無産協議会(1937年日本無産党に発展)結成ではその中心となった。さらに8月には東京交通労組,東京市従業員組合(東京市従),東京自動車労組(自労)の3組合とともに社会大衆党に無産政治戦線の統一,無条件入党を申し入れ,反ファッショ人民戦線結成を意図したが,実現しなかった。37年日中戦争開始以後,全評は前年来の賃上げ闘争を中止するなど,厳しい情勢に慎重に対処しようとしたが,警察の規制は前にもまして厳しくなり,9月改正綱領を発表して右旋回を表明せざるをえなかった。しかし12月15日,日本無産党,全評,労農派関係者は検挙され(人民戦線事件),22日,日本無産党とともに結社を禁止された。
執筆者:梅田 俊英
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報