日本労働組合全国協議会の略称。評議会(日本労働組合評議会)解散後,左翼組合が再結集して1928年12月23日全国代表者会議を開き,全協準備会を結成し事実上発足した。予定した創立大会は四・一六事件のため開けなかった。公称組合員1万2000人,委員長は奥村甚之助(後に前納善四郎ら)。日本最初のプロフィンテルン加盟組合で,日本共産党の指導下にあった。全協は合法組合の内部に〈革命的反対派〉を組織し,機関紙《労働新聞》をはじめ各産別ごとの機関紙などを通じ,他の組合にも一定の影響を及ぼしたが,あいつぐ検挙で安定した指導部をもちえず,30年の川崎武装メーデー事件(川崎メーデー事件ともいう)や32年の天皇制打倒綱領採択に示されるように極左的方針をとったこともあって,しばしば内部対立を生じ,組織は混乱した。なかでも佐藤秀一,神山茂夫らの全協刷新同盟(1930年6月発足)との対立は国内で解決しえずプロフィンテルンの批判をうけた。全協は全国的産業別組合の統一体として,金属,化学,出版,土建,繊維,交通などの産別組織を有していたが,多くは大衆的基盤を欠き,少数の活動家集団にとどまった。ただ,1930年在日本朝鮮労働総同盟を吸収した土建は朝鮮人労働者のなかで影響力をもち,31年山梨県国道8号線工事場,32年岩手県国鉄大船渡線工事場などの争議を指導した。ほかに,〈全協史上最も輝かしい一ページ〉といわれた32年東京地下鉄スト(モグラ争議)などを指導したが,相つぐ弾圧とスパイの活動により,34年末には事実上壊滅し,36年全協再建委員会の検挙によって自然消滅した。
執筆者:梅田 俊英
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
日本労働組合全国協議会の略称。日本労働組合評議会解散後,1928年(昭和3)12月に半非合法で再建された左翼労働組合の全国組織。弾圧下で武装蜂起方針など極左的偏向を示し,全協刷新同盟を生んだ。30年8月のプロフィンテルン(コミンテルンの指導下にある国際労働組合組織)大会で偏向が批判され,大衆活動に転換,東京地下鉄争議や反戦闘争を展開した。その後,天皇制打倒を綱領に掲げるなど再び極左的偏向を示し,34年末には消滅。機関紙は「労働新聞」。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…1930年,大恐慌下で鐘紡争議や東京市電争議などの激化をみた佐野博や田中清玄らの日本共産党幹部は,革命情勢が客観的にも主観的にも成熟したと判断して日本労働組合全国協議会(全協)にメーデーを武装して闘うよう指示した。神奈川県川崎では,全協組合員約20人が日本石油とライジングサンの製油所を破壊し鶴見警察署を襲撃する目的でピストル,竹やりなどで武装してメーデー会場に乗り込んだが,警官隊に制圧され,東京でも武装した全協組合員がメーデー行進を国会議事堂に誘導して襲撃する計画であったが厳戒のため果たさなかった。…
※「全協」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発を進めるイプシロンSよりもさらに小さい。スペースワンは契約から打ち上げまでの期間で世界最短を...
12/17 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
11/21 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新