日本歴史地名大系 「八島田村」の解説 八島田村やしまだむら 福島県:福島市荒川北岸地区八島田村[現在地名]福島市八島田・野田町(のだまち)・野田町二―七丁目松(まつ)川右岸の扇状地に立地し、北東は森合(もりあい)村、北西と南は笹木野(ささきの)村、南東は下野寺(しものでら)村と曾根田(そねだ)村。近世初期に整備された福島から米沢へ至る街道(通称米沢街道)は当村の三河尻(みかわじり)・清合内(せいごううち)・台(だい)・桃木町(もものきまち)・上台畑(かみだいはた)を経て西隣の笹木野村へ通じる。天文三年(一五三四)四月二九日の伊達稙宗安堵状案(伊達家文書)によれば、高成田弥太郎が今村治部少輔から購入した信夫(しのぶ)庄「八島田之郷之内、八郎内在家一宇、年貢一貫六百文之所」などを安堵されている。同七年の段銭古帳では信夫名倉(しのぶなぐら)方のうちとして「やしまた」とみえ、段銭は六貫三二五文。 八島田村やしまだむら 岡山県:赤磐郡吉井町八島田村[現在地名]吉井町八島田石(いし)村の南にあり、西部の谷間を北東に流れる北軒(ほつけん)川に沿って細長い平地が続き倉敷往来が通る。南には鳥(とり)ヶ佐古(さこ)山があり、標高二五〇メートルの高地に集落が点在する。慶長一〇年(一六〇五)備前国高物成帳(備陽記)の佐井木(さいき)庄に村名がみえ、寛永備前国絵図では高二一八石余。「備陽記」によれば田畠二四町四反余、家数五二・人数二八六、天王(現素盞嗚神社)がある。天保年間の「磐梨郡三組手鑑」では直高三四九石余、家老土倉四郎兵衛給地。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by