八王子村(読み)はちおうじむら

日本歴史地名大系 「八王子村」の解説

八王子村
はちおうじむら

[現在地名]与野市八王子一―五丁目・本町西ほんまちにし三丁目・円阿弥えんなみ二丁目

上峰うえみね村の北西に位置する。村の北方赤山あかやま街道が通り、西方白鍬しらくわ(現浦和市)から与野町に至る与野道が通る。村名は当村鎮守の八王子権現社に由来するという。植田谷うえたや領に属した(風土記稿)。初め幕府領と川越藩領の相給で、慶長一六年(一六一一)と寛永八年(一六三一)検地が行われたと伝える(風土記稿)。川越藩領分は同一一年藩主酒井氏の若狭小浜おばま(現福井県小浜市)転封の際に上知されたと思われる。


八王子村
はちおうじむら

[現在地名]四日市市八王子町・笹川ささがわ高花平たかはなだいら小林こばやし

西方の小山おやま村付近の丘陵に源を発し、東流して伊勢湾に注ぐ天白てんぱく川の北岸にある。村の三方は低い丘陵に囲まれ、東方は平坦地で、室山むろやま村がある。「五鈴遺響」は「神風徴古録」をひいて稲田いなだ御厨の故地とする。天正一二年(一五八四)頃の織田信雄分限帳によれば、野々村左衛門がこの地で二一〇貫文を知行していた。江戸時代は初め桑名藩領、文政六年(一八二三)松平忠尭おし(現行田市)への転封に伴い忍藩領となり、天保一三年(一八四二)幕府領、弘化四年(一八四七)再び忍藩領となる。


八王子村
はちおうじむら

[現在地名]渥美町八王子

東は宇津江うづえ村、赤羽根あかばね(現赤羽根町)、西は村松むらまつ村、北は江比間えひま村、南は赤羽根村と接する。文徳天皇の第八王子が賊徒平定のためこの地に長くとどまったことから、村名となったと伝える。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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