日本歴史地名大系 「公庄村」の解説
公庄村
ぐじようむら
慶長検地郷村帳に高一〇五・七五石「公庄村」とみえる。宮津藩領であったが、寛文六年(一六六六)幕府領となる。その後宮津藩領に復したと思われ、宝永二年(一七〇五)の宮津領辻高帳に村名がみえるが、享保二年(一七一七)幕府領となる。
小字
公庄村
ぐじようむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
慶長検地郷村帳に高一〇五・七五石「公庄村」とみえる。宮津藩領であったが、寛文六年(一六六六)幕府領となる。その後宮津藩領に復したと思われ、宝永二年(一七〇五)の宮津領辻高帳に村名がみえるが、享保二年(一七一七)幕府領となる。
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