兼重寛九郎(読み)かねしげかんくろう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「兼重寛九郎」の意味・わかりやすい解説

兼重寛九郎
かねしげかんくろう
(1899―1989)

機械工学者、科学技術行政家。大阪市生まれ。山口県出身。1923年(大正12)東京帝国大学工学部機械工学科を卒業し、鐘紡(かねぼう)(のちカネボウ勤務を経て、1925年母校の助教授となり水力学専攻。1938年(昭和13)軸流水車の速度特性の研究学位を取得。1942年同大学教授、1951~1954年(昭和26~29)生産技術研究所長、1951~1952年日本機械学会長、1955年航空技術研究所長、1960年東京大学を定年退職し名誉教授となった。第二次世界大戦後GHQにより学術体制刷新委員会がつくられ、1948年同委員長に選ばれ、日本学術会議創設尽力、1958~1960年同会議会長、1965年から9年間科学技術会議会員のほか、多くの科学技術行政に活躍した。1969年機械工学の研究により文化功労者となった。

山崎俊雄

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

20世紀日本人名事典 「兼重寛九郎」の解説

兼重 寛九郎
カネシゲ カンクロウ

昭和期の機械工学者 東京大学名誉教授;元・日本学術会議会長。



生年
明治32(1899)年4月5日

没年
平成1(1989)年6月5日

出生地
大阪府大阪市

学歴〔年〕
東京帝国大学工学部機械学科〔大正12年〕卒

学位〔年〕
工学博士〔昭和13年〕

主な受賞名〔年〕
勲一等瑞宝章〔昭和44年〕,文化功労者〔昭和44年〕,勲一等旭日大綬章〔昭和55年〕

経歴
鐘紡勤務を経て、昭和14年東京大学助教授、17年教授、26年生産技術研究所長、30年航空技術研究所長、32年原子力委員、33年日本学術会議会長、35年東大名誉教授。34年西独学術視察団長、39年国連諮問委員、40年科学技術会議員、日本ユネスコ国内委員を歴任

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「兼重寛九郎」の解説

兼重寛九郎 かねしげ-かんくろう

1899-1989 昭和時代の機械工学者。
明治32年4月5日生まれ。昭和17年母校東京帝大の教授となり,のち東大生産技術研究所所長。30年から航空技術研究所(現航空宇宙技術研究所)の初代所長をつとめた。熱工学,水力機械の研究で知られる。茅(かや)誠司らと日本学術会議の創設に参画し,33年会長に就任。宇宙開発審議会会長。44年文化功労者。平成元年6月5日死去。90歳。大阪出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「兼重寛九郎」の解説

兼重 寛九郎 (かねしげ かんくろう)

生年月日:1899年4月5日
昭和時代の機械工学者。東京大学教授;日本学術会議会長
1989年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

今日のキーワード

カイロス

宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発を進めるイプシロンSよりもさらに小さい。スペースワンは契約から打ち上げまでの期間で世界最短を...

カイロスの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android