1949年に設立された日本の科学者を代表する組織。現在は「国の特別機関」という位置付けで、中立的な立場で政府への政策提言や科学者同士の連携を深める活動に取り組む。会員は特別職の国家公務員で定員210人、任期は6年。3年ごとに半数を入れ替える仕組みになっており、新たな会員は現会員が学術的な業績などから候補者を選んで推薦し、首相が任命する。会員の他に約2千人の連携会員もいる。
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学術会議は,戦前の学術研究会議(1920設立)を母胎にして,第2次大戦後の学術体制刷新運動の中から,日本の科学者,研究者の内外に対する代表機関として,1949年に設立された。対外表記はScience Council of Japan,略称JSC。学術会議は〈科学の向上発展を図り,行政,産業及び国民生活に科学を反映浸透させる〉(同会議法2条)ことを目的としており,総務庁に属する政府機関ではあるが,その遂行に関して独立性を保障されている(同3条)。
学術会議は,その第1回総会で〈これまでわが国の科学者がとりきたった態度について強く反省し,今後は,科学が文化国家ないし平和国家の基礎であるという確信の下に,わが国の平和的復興と人類の福祉増進のために貢献することを誓うものである〉との声明を採択した(1949年1月22日)。この声明には,学界の近代化と学問の平和的利用への強い決意がこめられているが,この決意はその後も一貫して同会議の活動を支えてきた。例えば,54年,原子力研究の再開にあたって,学術会議は原子力の軍事的利用に歯止めをかけ,平和利用に限定するという観点から〈原子力の研究と利用に関し公開,民主,自主の原則を要求する声明〉を発表した。この声明の趣旨は,いわゆる原子力三原則として,翌55年,国会で成立した原子力基本法におりこまれた。また,学術会議は,学術振興の長期的展望に立って,多くの分野に関して,全国の研究者に開かれた共同利用研究所の設立を政府に勧告,要請した。その最初のものが京都大学基礎物理学研究所である。このほか,学術会議は多くの国際会議の開催,外国への研究者派遣など,戦後の学術行政,学問の発展に重要な役割を果たしてきた。
しかし,政府は学術会議の批判的・野党的姿勢を忌避して,学術会議発足直後から,同会議軽視の態度を示してきた。例えば,学術会議の勧告や声明の多くは政府によって無視されてきたし,56年に科学技術庁を設置したこと,同年に学術会議傘下の日本学士院を分離独立させたこと,その後も科学技術会議や学術審議会の設置,加えて学術振興協会の再編拡充など,政府の一連の施策を通じて,学術行政全般に占める学術会議の役割は相対的に低下してきた。そのため,学術会議の内外から改革の声が高まり,ついに83年,会員選出方法などが改められた。すなわち,これまで学術会議は,〈学者の国会〉としての役割を果たすべく,一定の資格を有する学者,研究者による直接投票によって会員を選出するという,学術団体としては世界的にもユニークな制度をもっていたが,この改正によって,直接選挙制度は廃され,学術研究団体の推薦によって210名の会員が選出されることになった。また,従来の7部門制(文,法,経,理,工,農,医)は残されたが,学問の専門分化の実情に即して,124の研究連絡委員会が設置された。このような制度的手直しによって,学術会議は学問分野間および学会間の連絡・調整機関としての性格をいっそう強めることになった。
執筆者:成定 薫
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日本の人文・社会科学、自然科学の全分野にわたる科学者の代表機関。第二次世界大戦後の民主化のなかで、戦前からの帝国学士院(1906設立)、学術研究会議(1920)、日本学術振興会(1932)を再編成することになり、1947年(昭和22)学術体制刷新委員会が設置された。1948年改組案の答申により、日本学術会議法が制定され、翌1949年設立となった。日本学術会議の目的は「科学の向上発達を図り、行政、産業及び国民生活に科学を反映浸透させること」(日本学術会議法2条)で、目的実現のために政府への勧告・答申、声明の発表、国内・国際的な会議への参加、学術交流協力などを行う。このため国際科学会議(ICSU)、国際社会科学団体連盟(IFSSO)をはじめ46の国際学術団体に加入し、国際的な学術の発展に努めている。また国際会議の主催、後援、代表の派遣なども行う。内閣府の特別の機関で経費は国庫の負担だが、独立性は保障されている(同法3条)。
日本学術会議は、210人の会員と約2000人の連携会員によって組織されている。任期は6年で、会員と連携会員の推薦した候補者等のなかから選考委員会が選考する。会員は人文・社会科学系の第一部、生命科学系の第二部、理学・工学系の第三部のいずれかに属して活動の中核を担い、連携会員は部には属さず、会員と連携して活動に参画する。組織運営のための四つの機能別委員会と、各専門分野に対応した30の分野別委員会が常置されているほか、その時々の課題に応じた課題別委員会が時限設置される。最高議決機関である総会は、会員の出席により、通常年2回開催される。
設立以来、多くの勧告・要望・声明等を採択、とくに1954年の第17回総会は、核兵器研究の拒否と原子力研究の三原則(民主・自主・公開)を声明、三原則が原子力基本法に生かされるなど、第二次世界大戦後の学術行政に力を発揮してきた。しかし、他方、政府の科学技術庁(1956)、科学技術会議(1959)、学術審議会(1967)の設置など(2001年より科学技術庁は文部科学省、科学技術会議は内閣府の総合科学技術会議となった)、一連の政策により、政府への勧告などの権限は薄められた。
[雀部 晶]
『福島要一著『「学者の森」の40年――日本学術会議とともに』上下(1986、88・日本評論社)』▽『日本学術協力財団編・刊『日本学術会議ハンドブック 日本の科学者と科学の現状』(1998)』▽『日本学術会議編・刊『日本学術会議五十年史』(1999)』
1948年(昭和23)7月に制定された日本学術会議法に基づいて,内閣総理大臣の所管の下で政府から独立した「特別の機関」として設立された組織。その職務として科学に関する重要事項を審議しその実現を図ること,科学に関する研究の連絡を図りその能率を向上させることの二つが定められており,政府・社会に対する提言,国際的な活動,科学リテラシーの普及・啓発および科学者間ネットワークの構築の4点に重点を置いた活動を展開している。また法に基づき,政府は科学に関する種々の諮問を日本学術会議に対して行い,会議は政府に対して各種の勧告を行うことができる。会員は210名からなり,さらに連携会員として2000名に及ぶ研究者が関与している。組織は会議・総会の下に人文・社会科学,生命科学,理学・工学からなる三つの部と各種の常設・特設の委員会が置かれている。分野別常設委員会では,部を構成する全領域を30の分野に分割し審議を行っている。2008年(平成20)には7項からなる日本学術会議憲章を発表し,会議と会員・連携会員とが自律的に順守すべき義務と責任を明文化した。
著者: 沖清豪
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(高橋真理子 朝日新聞記者 / 2007年)
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日本の科学者の内外に対する代表機関。内閣府所管。1949年(昭和24)日本学術会議法により設立。これにより従来学界最高の審議機関であった日本学士院は付置の栄誉機関となり,学術研究会議は廃止された。会員は内閣総理大臣に任命された各分野の会員210人と約2000人の連携会員からなる。任期6年で3年ごとに半数任命替え,専攻分野により3部に所属。政府から独立した活動を通じて学術上の重要事項について,政府への建議・勧告などに努める。対外的には国際学術連合に加盟し,国際会議などを主催し国の代表機関として活動する。56年日本学士院が分離独立,83年創立以来の会員公選制が改正されて学会推薦制となった。
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…また国際学術連合会議(ICSU)も,科学者は一般市民としての義務に加えて,特別の責務を負っていること,そしてその責務を果たすためにどのような権利を主張すべきかなどをめぐって,49年独自の科学者憲章を採択している。さらに日本学術会議も,科学研究の担い手としての科学者の主体性の確立と,それに伴う社会的責任の明確化を目指して,80年科学者憲章を採択した。そこでは次の5項目の遵守がうたわれている。…
※「日本学術会議」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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