内神社(読み)うちじんじや

日本歴史地名大系 「内神社」の解説

内神社
うちじんじや

[現在地名]松江市大垣町

本宮ほんぐう(二七九・四メートル)の南麓に鎮座する。主祭神は和加布都努志能命。旧県社。高野たかの宮と通称され、足鷹たしだか大明神足高たしだか大明神などともいわれた。「出雲国風土記」にみえる秋鹿郡宇智うち社、「延喜式」神名帳にみえる同郡の内神社に比定される。本宮山は風土記にみえる女心高野めごころたかのに比定され、同書によると秋鹿郡家の西一〇里二〇歩にあって、高さ一八〇丈・周囲六里、「上頭に樹林あり。此は則ち神の社なり」と記される。この社が当社の前身で、高野宮の呼称山名にちなむと考えられる。社伝では養老元年(七一七)に現在地に移されたという。

天正一〇年(一五八二)二月二日の宍道政慶知行宛行状(内神社文書)に、大野おおの庄足鷹大明神の大宮司として家原氏の名がみえる。


内神社
うちじんじや

[現在地名]八幡市内里内

内里うちさと集落の西端にあり、祭神は味師内宿禰うましうちのすくね命。旧村社。「延喜式」神名帳の久世くせ郡「内神社二座」に比定される。「日本地理志料」は「古事記孝元段、味師内宿禰山代祖也、姓氏録同、神名式綴喜郡内神社、盖其祖廟也」と記す。中世には春日宗像かすがむなかた神社と称したといい、現在地の南東岩田いわた降宮ふるみや(現岩田古宮)に隣接して古宮ふるみや(現内里古宮)という字があり、大永年間(一五二一―二八)まで内神社があって、天正年間(一五七三―九二)に移ったと伝えている(京都府地誌・綴喜郡誌)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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