改訂新版 世界大百科事典 「内藤政長」の意味・わかりやすい解説
内藤政長 (ないとうまさなが)
生没年:1568-1634(永禄11-寛永11)
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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(長谷川成一)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
…1602年(慶長7)岩城氏の改易後,奥州太平洋岸(浜通り)南端の押えとして鳥居忠政が10万石で入封し,築城,城下町建設,08年の領内総検地,新田開発の奨励など藩体制確立に努めた。22年(元和8)内藤政長が7万石で入封し,内藤氏は6代124年に及んだ。38年(寛永15)総検地(寅の縄)を実施して確立しつつあった近世村落の状況を掌握し,夏井川上流から小川江を開削するなど農政,沿岸漁業,馬産に力を入れ,小名浜湊を窓口に江戸,大坂などとの取引を盛んにした。…
※「内藤政長」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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