コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

内藤政長 ないとう まさなが

3件 の用語解説(内藤政長の意味・用語解説を検索)

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

内藤政長 ないとう-まさなが

1568-1634 江戸時代前期の大名。
永禄(えいろく)11年3月生まれ。内藤家長(いえなが)の長男。父とともに徳川家康につかえ,長久手(ながくて)の戦いや会津(あいづ)攻めにくわわる。上総(かずさ)(千葉県)佐貫(さぬき)藩をへて,元和(げんな)8年陸奥(むつ)平(たいら)藩(福島県)藩主内藤家初代。7万石。寛永11年10月17日死去。67歳。三河(愛知県)出身。通称は金一郎。

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

内藤政長

没年:寛永11.10.17(1634.12.7)
生年:永禄11(1568)
江戸初期の大名。陸奥国磐城平藩(福島県いわき市)の初代藩主。父は家長,母は松平忠長の娘。三河生まれ。通称金一郎。左馬助。父と共に徳川家康に仕える。慶長5(1600)年の会津攻撃に参加。父が伏見城で西軍と戦って戦死したため,5年遺領上総国(千葉県)佐貫2万石を襲封。大坂の陣(1614,15)では江戸城留守居を務め,筑後国柳川城の請け取り(1620),熊本城の接収(1632)など幕府の改易に関する事柄にかかわった。この間,元和8(1622)年磐城平7万石へ転封。特に植林の治績が顕著であった。江戸で死去。政長は家康の落胤という説もある。

(長谷川成一)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典 第2版の解説

ないとうまさなが【内藤政長】

1568‐1634(永禄11‐寛永11)
近世初期の武将,陸奥国磐城平藩主。通称金一郎,左馬助。徳川氏譜代内藤家長の嫡子として三河国亀井戸で生まれる。1589年(天正17)豊臣秀吉から豊臣姓を与えられ,従五位下左馬助に叙任。1600年(慶長5)父家長の伏見城戦死の跡をうけ,上総国佐貫城2万石を継ぐ。14年安房国里見氏,20年(元和6)筑後国田中氏除封のとき両国の制法を沙汰した。22年陸奥国磐城平藩7万石に転封。【神崎 彰利】

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

世界大百科事典内の内藤政長の言及

【磐城平藩】より

…1602年(慶長7)岩城氏の改易後,奥州太平洋岸(浜通り)南端の押えとして鳥居忠政が10万石で入封し,築城,城下町建設,08年の領内総検地,新田開発の奨励など藩体制確立に努めた。22年(元和8)内藤政長が7万石で入封し,内藤氏は6代124年に及んだ。38年(寛永15)総検地(寅の縄)を実施して確立しつつあった近世村落の状況を掌握し,夏井川上流から小川江を開削するなど農政,沿岸漁業,馬産に力を入れ,小名浜湊を窓口に江戸,大坂などとの取引を盛んにした。…

※「内藤政長」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

内藤政長の関連キーワード光子内親王佐久間勝之瑞鳳寺岡部長盛花山院定煕喜多見勝忠貞康親王立花鑑載成瀬之虎松平清道

今日のキーワード

トランスアジア航空

台湾・台北市に本拠を置く航空会社。中国語名は復興航空。1951年、台湾初の民間航空会社として設立。83年に台湾の国産実業グループに経営移管され、組織改編を実施した。92年に国際チャーター便の運航を始め...

続きを読む

コトバンク for iPhone