出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
平安中期、京都に藤原道長が建立した寺で、現在は廃寺。その位置は、東は鴨川(かもがわ)、西は東京極(きょうごく)(現京都市東側)、南は近衛(このえ)(現荒神口通)にあたる。『栄花(えいが)物語』によると、栄華の絶頂期にあった道長は病気に苦しみ、1019年(寛仁3)3月21日に出家、自らの僧房としての寺院の造営のため、同年7月16日、土御門第(つちみかどだい)の東、鴨川畔に中河御堂(みどう)(阿弥陀(あみだ)堂)の造営を始め、無量寿(むりょうじゅ)院と名づけた。さらに十斎堂、三昧(さんまい)堂を建立した。1021年(治安1)には道長の北方(きたのかた)倫子も出家して、西北院が創建された。翌年には金堂、五大堂の落慶供養(らっけいくよう)が営まれ、法成寺と命名された。その後、薬師堂、後朱雀(ごすざく)天皇の中宮藤原嬉子(きし)のための三昧堂・尼戒壇(あまかいだん)、百体仏の釈迦(しゃか)堂などが次々に造営された。阿弥陀堂内には金色阿弥陀像9体が安置され、1027年(万寿4)道長は阿弥陀仏に五色の糸を結び、念仏の声に包まれて生涯を終えたと伝える。道長の死後も東北院などの堂舎造営が続くが、1058年(康平1)法成寺は全焼した。長男頼通(よりみち)が復興。しかし、その後も火災、地震などにみまわれ、さらに、藤原氏の勢力後退に伴って衰微し、1333年(元弘3・正慶2)廃絶した。そのようすは『栄花物語』『小右記(しょうゆうき)』『扶桑(ふそう)略記』などに記されている。
[田村晃祐]
藤原道長が造営した摂関家全盛期を象徴する大寺。〈御堂(みどう)〉と呼ばれ,道長の〈御堂関白〉という異称も生まれた。1019年(寛仁3)から造営開始。金色の丈六阿弥陀像9体を安置した無量寿院(阿弥陀堂)を中心に,金堂,五大堂,十斎堂,講堂,薬師堂など諸堂の造営は,諸国の受領が争って分担し,その壮麗さは地上の極楽といわれて,《栄華物語》や《大鏡》に詳しい。1027年(万寿4)道長は阿弥陀堂内で,9体の阿弥陀仏の手に五色の糸を結び,《往生要集》の臨終行儀そのままに,西向き北枕に臥し,その糸を手にして念仏の声のなかで最期を迎えたという。1058年(康平1)焼亡し,道長の子の頼通が以前にもまして壮麗に再建したが,中世に入ると衰微し,室町時代前期には廃寺となった。寺址は現在の京都市上京区京都御所の東側で,鴨川に至る方2町の地域に比定されている。
執筆者:藤井 学
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京都市上京区にあった藤原道長創建の寺。1019年(寛仁3)に出家した道長が阿弥陀堂を建立し,無量寿院と名づけたのが始まり。22年(治安2)金堂・講堂の落慶供養に後一条天皇の行幸があった際,法成寺と名を改めた。その前年には道長の妻倫子(りんし)も出家して西北院を寺内にたてた。のち薬師堂・三昧堂・釈迦堂や,女の太皇太后彰子(しょうし)(上東門院)のための尼戒壇も造られた。道長は27年(万寿4)当寺阿弥陀堂で死去。その後も彰子や長男頼通らによって堂宇の造営が行われたが,58年(康平元)炎上,頼通によって再建された。摂関期には最大規模を誇ったが,鎌倉時代に衰退した。
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…かの有名な〈この世をばわが世とぞ思ふ望月のかけたることもなしと思へば〉の歌は,この日の威子の立后を祝う公卿の宴席で,道長がみずから十六夜の月にかけて詠んだ歌である。しかしそのころから道長は病気がちになり,翌年3月出家して行観(のち行覚)と称し,ついで法成寺の造営に力を傾け,20年には無量寿院が完成し,9体の阿弥陀仏が安置された。さらに22年(治安2)には金堂も建ち,法成寺の名も定められ,引き続いて薬師堂や釈迦堂なども造立された。…
…膝の部分は後補であるが,上体のバランスがよく,気品のある忿怒相は,まさにこの時代の中央での作風を示すもので,康尚の作に比定されている。彼は20年(寛仁4)道長発願の法成寺(ほうじようじ)無量寿院丈六九体阿弥陀像造顕に子息定朝とともにたずさわるが,これより康尚の地盤は定朝に引きつがれ,定朝はやがて仏師としてはじめて僧綱位を受け,寄木造の完成や仏所の組織化が彼の功績に数えられ,彼の作品は〈仏の本様〉と称され,後世の規範とされたのである。彼の現存唯一の作品である平等院鳳凰堂阿弥陀如来像は,まさにそのことを証する傑作である。…
※「法成寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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