日本歴史地名大系 「円融寺跡」の解説
円融寺跡
えんゆうじあと
平安時代中期に建立された供養
、導師寛朝大僧正、同廿五日納封百戸云々」とある。「古徳記」(仁和寺諸院家記)には「円融寺、寛朝僧正禅室也」ともあり、もともと落慶供養に導師を務めた宇多法皇の孫で、京都仁和寺で出家した寛朝僧正の禅室であったらしい。この時の供養については「日本紀略」に「新造御願円融寺供養、准
御斎会
、行事大納言源重信、権左中弁同致方等也、参議大江斎光作
御願文
、佐理卿清書、大僧正良源為
講師
、権僧正尋禅為
呪願
、今日可
有
行幸
之由被
仰下
」とあり、「扶桑略記」には寺観について「安
置七仏薬師像
、池東建
法華堂
」と記す。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報