切詰関所跡
きりづめせきしよあと
飛騨と越中を結ぶ飛州二ッ屋村道に置かれた近世の関所。切詰は野積谷の最南端、国境にあるため古来より守人が置かれたと伝え、その由来から庵谷に設置されても切詰関所と称したものか。あるいは庵谷を枝村とする切詰という地名の汎称性によるものか。同街道は飛騨二ッ屋村(現岐阜県河合村)から楢峠を越えて越中に入る街道で、八尾では飛騨街道と通称していた。「飛騨国中案内」によれば、国境から切詰村までが二里、切詰村から八尾町内までが五里の行程であった。関所は寛文三年(一六六三)街道にまたがった建物が設けられ、多田・黒田の両家が交替で手形の調査と口役銀の徴収にあたっていたとされる(婦負郡志)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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