庵谷村
いおりだにむら
[現在地名]細入村庵谷
楡原村の南方に続く村で、神通川左岸に立地する。集落は飛騨街道に面して営まれ、南東の片掛村へは小菅峠(庵谷峠)を越えて往来した。地名は「ようだん」とも称したが、庵の文字を冠する地名は古い開発を伝えるという。永禄八年(一五六五)六月一〇日の河上□綱牛役銭免状(川上行雄所蔵文書)にみえる「魚谷」は当地と考えられ、飛騨高原(現岐阜県国府町)の弁屋(紅屋)に牛荷の役銭などを免除する過書を与えており、関銭を徴収していたことが知られる。正保郷帳に村名がみえ、高二三七石余、田方八町七反余・畑方七町一反余。元禄七年(一六九四)の焼印札相渡村々書上(橋本家文書)では一〇枚。
庵谷村
いおのたにむら
[現在地名]大豊町庵谷
梶ヶ森の北西麓にある山村で、「土佐州郡志」は「東西五十町南北可二里」と記す。南方の杖立峠を越える往還が通る。地名は天文二四年(一五五五)五月八日付の中村豊楽寺鐘勧進帳(蠧簡集)に「中村六名」の一としてみえる。天正一六年(一五八八)の豊永地検帳に「広谷名」とみえるのが当地と考えられる。検地面積一七町六反三二代、うち田分一二町一反一五代三歩、畠分二町三七代四歩、屋敷数六〇および堂床二(地蔵堂・観音堂)で三町四反二八代五歩。堂床二を除くほかは公事分と名本分からなる。
庵谷村
いおりだにむら
[現在地名]八尾町庵谷
滝谷村の南方、大長谷川上流左岸にある。飛州二ッ屋村道が通る。切詰関所が置かれた。元禄一一年(一六九八)の郷村高辻帳では切詰村の一〇町ほど北にある枝村新田としてみえ、高三八石。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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