剣持章行(読み)けんもちあきゆき

改訂新版 世界大百科事典 「剣持章行」の意味・わかりやすい解説

剣持章行 (けんもちあきゆき)
生没年:1790-1871(寛政2-明治4)

幕末数学者。通称要七,または要七郎,字は成紀,予山と号した。上野国吾妻郡の沢渡農家の出である。上野国板鼻の小野栄重(1763-1831)に数学を学び,後に内田五観門人となる。数学を好み,関東各地を遊歴して数学を教えた。北総鏑木で客死する。級数,不定方程式,整係数方程式,定積分表など,他の数学者の意表をつく考えを述べ,多くのくふうをこらした。刊行された著書は《探算法》(1840)など7冊にもなり,稿本の著書も多い。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「剣持章行」の解説

剣持章行 けんもち-あきゆき

1790-1871 江戸時代後期の和算家
寛政2年11月3日生まれ。小野栄重(よししげ),内田五観(いつみ)らにまなぶ。関東地方を遊歴して和算をおしえた。明治4年6月10日死去。82歳。上野(こうずけ)(群馬県)出身。字(あざな)は成紀。通称は要七。号は予山。著作に「探賾算法」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の剣持章行の言及

【和算】より

…内田は高野長英に蘭学を学んでおり,塾の名はそこからきている。弟子には剣持章行(1790‐1871),法道寺善(ほうどうじぜん)(1820‐68),川北朝鄰(1840‐1919),その他多数の数学者がいた。法道寺は観山と号し,その観山が新しく見つけた方法であるとして,《観新考算変(かんしんこうさんぺん)》を各地に書き残している。…

※「剣持章行」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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