力久辰斎(読み)リキヒサ タツサイ

20世紀日本人名事典 「力久辰斎」の解説

力久 辰斎
リキヒサ タツサイ

昭和期の宗教家 善隣会教祖。



生年
明治39(1906)年10月28日

没年
昭和52(1977)年9月29日

出生地
佐賀県久保田町

経歴
神道実行教の布教所長力久辰三郎の次男。神戸の電鉄会社に勤めたが、大正15年父の死で後を継ぎ、修行生活に入った。昭和4年京城で千里眼の評判を得、入信者が続出、二つの行場を開き荒行を重ねた。8年帰郷、9年から2年間、近畿各地を遍歴、15年平戸で50日間の行を修め、満願の日、信者を集め「善隣の道」を説いた。16年郷里で百日千里の大行を果たし、18年応召、華北敗戦、21年帰国。同年救生済民の使命を自覚「心は運命製造者なり」「病気は悩みの収獲なり」との2大教義を立て「新陳代謝の悟り」を開いた。20年に及ぶ日本と朝鮮の13の行場での修行を経て「善隣の道」を確立した。22年佐賀県多久に瑞鳳園修養道場を設立、50日の大行の後、教典「聖経・善隣の園」の啓示を受けた。27年教名を「善隣会」と改め本部を佐賀市の旧鍋島邸に移し「即決」「おすがり」による病気治しで教勢を拡大、35年福岡県筑紫野市原田に新本部を建設した。現代生き神教祖の典型

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「力久辰斎」の解説

力久辰斎 りきひさ-たつさい

1906-1977 昭和時代の宗教家。
明治39年10月28日生まれ。神道実行教教会長の父辰三郎の跡をつぐが,昭和22年佐賀県多久村で独自に善隣会を立教する。「おすがり」の秘儀北九州中心勢力をのばし,35年本部を福岡県筑紫野にうつした。昭和52年9月29日死去。70歳。佐賀県出身。
格言など】心は運命の製造者にして,生活は運命の製造所なり(悟りの言葉)

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「力久辰斎」の解説

力久 辰斎 (りきひさ たつさい)

生年月日:1906年10月28日
昭和時代の宗教家。善隣会教祖
1977年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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