改訂新版 世界大百科事典 「加助騒動」の意味・わかりやすい解説
加助騒動 (かすけそうどう)
1686年(貞享3)10月,信濃国松本藩に起こった百姓一揆で,中心人物が多田加助(嘉助)であったことからこの名がある。貞享3年が凶作であったことから,日ごろの重税の不満を5項目にまとめて庄屋連がまず奉行所に愁訴した。年貢納入の際の籾(もみ)踏みの廃止,納め籾を1俵5斗入りで五分摺りの2斗5升とすること,大豆の金納相場を下げること,差し米の廃止,城米輸送は領分境までにすることなどであった。庄屋連の出訴に励まされて一般農民も蜂起し,特権商人の打毀(うちこわし)もしながら城門に迫った。その数1万有余。ろうばいした藩当局は家老の名で,5項目の全面承認を約す覚書を示し,一揆農民を解散させたあと,指導者を逮捕,いったん渡した覚書も取り戻した。まさに欺瞞行為であった。指導者として村役人級の農民8人が,一回の取調べもなく1ヵ月後に磔刑,その家族23人が打首になるという悲惨な結末に終わった。藩主水野家が,この事件の40年後に江戸殿中で刃傷事件を起こして取潰しになったが,それは処刑者の祟(たたり)によるとうわさされた。
執筆者:横山 十四男
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報