加藤定吉(読み)カトウ サダキチ

20世紀日本人名事典 「加藤定吉」の解説

加藤 定吉
カトウ サダキチ

明治・大正期の海軍大将,男爵 貴院議員。



生年
文久1年11月18日(1861年)

没年
昭和2(1927)年9月5日

出生地
江戸

出身地
静岡県(籍)

学歴〔年〕
海兵(第10期)〔明治16年〕卒

経歴
静岡藩士の三男として生まれる。明治16年海軍兵学校を首席で卒業、19年少尉に任官日露戦争では装甲巡洋艦春日艦長として日本海海戦に参加。大正2年第2艦隊司令長官となり、第一次大戦に際してはドイツ軍と交戦して膠州湾封鎖した。教育本部長、呉鎮守府司令長官などを歴任。7年大将。のち男爵となり、貴院議員を務めた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

朝日日本歴史人物事典 「加藤定吉」の解説

加藤定吉

没年:昭和2.9.5(1927)
生年:文久1.11.18(1861.12.19)
明治大正期の海軍軍人。江戸生まれ。明治16(1883)年海軍兵学校卒。「比叡」「高雄」「厳島」ら艦船の水雷長などを歴任。日露戦争では,海防艦「橋立」艦長として黄海海戦に,装甲巡洋艦「春日」艦長として日本海海戦で戦った。のち北遣艦隊に加わり樺太島占領やウラジオストック方面の偵察,威嚇などを行う。戦後は横須賀などの工廠長などを歴任。大正2(1913)年,第2艦隊司令長官となり,第1次世界大戦では,戦艦4隻をはじめとする部隊を率いてドイツ軍と交戦し膠州湾を封鎖,陸軍の山東半島制圧に協力。7年大将に進む。<参考文献>『海軍』編集委員会編『海軍』3巻

(山村義照)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「加藤定吉」の解説

加藤 定吉
カトウ サダキチ


肩書
衆院議員(憲政会)

生年月日
明治3年11月

出身地
静岡県

学歴
慶応義塾〔明治24年〕卒

経歴
北支那、満州で貿易業務にたずさわる。大正4年衆院議員に初当選以来連続3期務めた。

没年月日
昭和9年4月14日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「加藤定吉」の解説

加藤定吉(2) かとう-さだきち

1871*-1934 明治-昭和時代前期の実業家,政治家
明治3年12月生まれ。横浜貿易商会,東京兜町(かぶとちょう)金万商会勤務をへて中国にわたり,満洲製粉,満洲興業の取締役などをつとめた。大正4年衆議院議員(当選3回,憲政会)。昭和9年4月14日死去。65歳。遠江(とおとうみ)(静岡県)出身。慶応義塾卒。

加藤定吉(1) かとう-さだきち

1861-1927 明治-大正時代の軍人。
文久元年11月18日生まれ。明治19年海軍少尉となる。日露戦争では春日艦長。第一次大戦には第二艦隊司令長官として出征。のち教育本部長,呉鎮守府司令長官などを歴任。大正7年大将。貴族院議員。昭和2年9月5日死去。67歳。江戸出身。海軍兵学校卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「加藤定吉」の解説

加藤 定吉 (かとう さだきち)

生年月日:1861年11月18日
明治時代;大正時代の海軍軍人。大将
1927年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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