加賀野村(読み)かがのむら

日本歴史地名大系 「加賀野村」の解説

加賀野村
かがのむら

[現在地名]盛岡市加賀野一―四丁目・東桜山ひがしさくらやま東新庄ひがししんじよう二丁目・つつじがおか・加賀野

盛岡城下の東方、中津なかつ左岸に位置し、北の対岸山岸やまぎし村、西は外加賀野そとかがの小路・御持筒おもづつ町。慶長(一五九六―一六一五)以前、当地に加賀と称する有徳の百姓が居住していたことが村名の由来とされる(盛岡砂子)。「雑書」寛永二一年(一六四四)三月一七日条に加々野とみえ、四郎左衛門が当村の肝煎に命じられている。同一八年の検地高は二四二石余(「検地高目録写」県立図書館蔵)正保国絵図に加賀野村、一〇九石余とある。


加賀野村
かがのむら

[現在地名]大垣市加賀野・なか

揖斐いび川右岸の平地、大垣輪中の東部に位置する。加々野・狩野とも記す。西は今宿いまじゆく村。村の南部を美濃路が通る。永仁三年(一二九五)六月の大井庄有司間人検注名寄帳案(筒井寛聖氏所蔵文書)に「加々野友成」、元徳二年(一三三〇)の大井庄三方会料名寄帳(東大寺図書館蔵)に「加賀野国正」の名がみえる。戦国期には、加賀野城の日比大三郎が織田信長森部もりべ(現安八郡安八町)の合戦に参加しているが(美濃明細記)、同城は後藤氏の居城ともいわれる。


加賀野村
かがのむら

[現在地名]中田町石森いしのもり

なつ川を合流したはさま川が南流する左岸にあり、北は石森村、東は黒沼くろぬま村、南はもり(現迫町)に接し、西の迫川対岸に栗原郡佐沼さぬま(現迫町)がある。嘉暦二年(一三二七)一一月一〇日の僧日目譲状(大石寺文書)によれば、「奥州三迫加賀野村内ニ田弐反」が弁阿闍梨(日道)に譲られている。鎌倉時代末期と思われる年未詳二月一三日の民部阿闍梨日盛宛の僧日道書状(同文書)に加賀野の地名がある。暦応二年(一三三九)六月一五日の富士大石寺曼荼羅脇書に「授与之奥州加賀野郷阿闍梨日行上奏代日行者、日道弟子一中一也」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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