桜山神社(読み)さくらやまじんじや

日本歴史地名大系 「桜山神社」の解説

桜山神社
さくらやまじんじや

[現在地名]盛岡市内丸

旧盛岡城三の丸跡の烏帽子えぼし岩の北下に社殿がある。つな門跡付近に大鳥居があり、その南の勘定所跡一帯を境内とする。祭神南部光行・南部信直・南部利直・南部利敬で、旧県社。初代藩主信直の遺徳に感じた八代藩主利視が、寛延二年(一七四九)盛岡城内淡路あわじ丸に勧請、淡路丸大明神と称された(内史略本「盛岡砂子」)。なお同書には、「是当城万代の鎮守也、元は此前年寛延元年は、則大明神の百五十年の御忌に当るなれは、此元年にこそ御勧請し給ふへきなれ共、此年は公江戸にまします故に、当年の御勧請也、(中略)七五三の神供にて事甚た厳重也、十月十五日於聖寿寺御法事御執行、頓て七五三の御霊供也とそ」と記される。


桜山神社
さくらやまじんじや

[現在地名]下関市上新地町二丁目

江頭えがしら山の北方にあたる小高い丘に鎮座。祭神は吉田松陰はじめ三九六柱。下関戦争・小倉戦争・戊辰戦争などの戦死者を祀る。

高杉晋作らの提案で招魂場設置が計画され、元治元年(一八六四)桜山を斎場として山本勘助隊長となり開墾が始められた。慶応元年(一八六五)祠宇が竣工し、国事に殉じた人々の一人一標の石碑も建立され、奇兵隊総管山内梅三郎が祭主となって招魂の儀が修された。


桜山神社
おうざんじんじや

[現在地名]熊本市黒髪五丁目

立田たつだ(一五一・六メートル)南麓に位置し、古くは桜馬場さくらばばとよび、軍馬の訓練場であったという。幕末維新期に活動した宮部鼎蔵・高木元右衛門ら、いわゆる志士二三人を祀る忠誠之碑と、明治九年(一八七六)神風連の乱に倒れた太田黒伴雄・加屋霽堅ら一二三人を祀る百二十三士之碑がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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