改訂新版 世界大百科事典 「労働人民文化宮」の意味・わかりやすい解説
労働人民文化宮 (ろうどうじんみんぶんかきゅう)
láo dòng rén mín wén huà gōng
中国の大都市に設置されている労働者のための文化,芸術,体育活動のセンター。解放直後の1950年1月,人民政府が労働者の福利・厚生施設用に,天安門東側の太廟を北京市総工会に供与し,同年のメーデーに毛沢東の〈北京市労働人民文化宮〉という額を正門にかかげ,公開したのが最初である。以後,上海,瀋陽,ハルビン(哈爾浜),杭州などの都市にも同様の施設ができた。東北地区では50年3月制定の〈東北区文化網組織工作要綱施行条例〉にもとづき,工業大都市には文化宮,県・市には文化館といったピラミッド型の文化網の頂点に位置づけられたが,必ずしも全国一様ではない。上海では〈工人文化宮〉とよび,上海市工人文化宮を中核に,滬東(ことう),滬西,南市,徐匯(じよわい),黄浦の各区に工人文化宮がある。
執筆者:森 時彦 東ヨーロッパの社会主義国にも,同様の施設が見られた。旧ソ連邦のものは〈文化の宮殿dvorets kul'tury〉または〈文化の家dom kul'tury〉と呼ばれ,都市や農村における社会教育活動の中心となってきた。〈文化の宮殿〉は巨大なものが多く,大ホール,図書館のほか,各種クラブ活動の部屋があり,絵画,彫刻,映画製作のスタジオなどの設備ももっている。これらの多くは文化省に所属するが,労働組合やコルホーズが独自に建設したものもみられた。また小・中学生のためには〈ピオネール宮殿dvorets pionerov i shkol'nikov〉や〈ピオネールの家〉がつくられていた。
執筆者:木塚 英人
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報