動労(読み)どうろう

改訂新版 世界大百科事典 「動労」の意味・わかりやすい解説

動労 (どうろう)

正称国鉄動力車労働組合総評公労協,全交運(全日本交通運輸労働組合協議会)の有力組合。1951年5月国労組織運営に不満をもった職能別協議会である機関車協議会が,みずからの要求はみずからの手で解決する以外に道はないとして,機関区だけで機関車労働組合を結成した。国鉄動力近代化の進展により,蒸気機関車主力から電化・ディーゼル化時代に移り変わるにともない,動力車の多様化に対応する必要が生じ,59年7月国鉄動力車労働組合と改称した。結成のころは右派的色彩が濃かったが,国鉄の合理化政策が激化するにつれて反合理化闘争の強化を余儀なくされ,闘争力はしだいに先鋭化し,〈鬼の動労〉といわれたりした。1957年中立労連連絡責任組合として総評・中立労連の春闘共闘体制の基礎をつくった。58年4月日本で最初にILOに対し団結権擁護の申立てを行い,その後のILO闘争のきっかけをつくった。60年9月の総評に加盟。動労の戦闘力が強まると,しだいにイデオロギー的対立が内部に生じ,74年共産党系の全動労(全国鉄動力車労働組合連合会),79年動労千葉(国鉄千葉動力車労働組合)が分派した。国際的には国際運輸労連に加盟。組合員数4万3672人(1982年9月末)に達したが,国鉄の分割・民営化契機鉄労などとともに87年2月鉄道労連(全日本鉄道労働組合)を結成。さらに89年6月JR総連(正称は全日本鉄道労働組合総連合会)と改称した。
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百科事典マイペディア 「動労」の意味・わかりやすい解説

動労【どうろう】

正称は国鉄動力車労働組合。動力車労組。1951年国鉄労働組合(国労)から乗務員部門の組織が分離,国鉄機関車労組と称したが,1959年改称。国労と同じく総評(日本労働組合総評議会傘下(さんか)で,組織的には競合しているが,しばしば共同闘争を組んでいた。当初,国鉄の分割・民営化に反対していたが,後,賛成に転じ,1987年分割・民営化を支持した。鉄労とともに全日本鉄道労働組合総連合会(JR総連)を結成。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「動労」の意味・わかりやすい解説

動労
どうろう

国鉄動力車労働組合

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「動労」の意味・わかりやすい解説

動労
どうろう

国鉄動力車労働組合」のページをご覧ください。

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世界大百科事典(旧版)内の動労の言及

【JR総連】より

連合の加盟組合。国鉄の分割・民営化を契機として,1987年2月に動労(1951年結成),鉄労(68年結成),日鉄労(86年結成),鉄道社員労(87年結成)が,全日本鉄道労働組合(鉄道労連)を結成した。その後,各組合が解散し,西日本,東海,北海道,四国など,JRの各新会社ごとに組合を結成し,87年8月に定期大会を開いて新たな単産となった。…

【国労】より

…1980年以降の国労は,国鉄の膨大な赤字のなかで,〈ヤミ賃金〉〈ブラ勤〉などについての攻撃,新規採用ストップを含めた厳しい合理化攻勢のなかで,苦難の道を歩んでいる。なお国鉄が民営化されJRとなったが,現在は,JRの中に国労のほかにもJR総連,JR連合,全動労,動労千葉が存在している。国労の組合員数2万9000人(1996年6月現在)。…

【順法闘争(遵法闘争)】より

…60年代以降になると順法闘争は直接運転部門にも広がり,信号規定やホームの安全監視の完全実施などにより,列車の遅延を目的とする戦術となった。とくに国鉄の機関士,運転士を組織する動労は作業現場(列車の運転席)が組合員の裁量下におかれるという運転労働特有の条件を生かして,効果的な順法闘争を行った。しかし順法闘争は首都圏など列車が過密の地域では無ダイヤ状態を生みだし,当局への打撃というより利用者のこうむる被害が大きく,労働組合に対する世論の非難をあびせられるようになった。…

【マル生反対闘争】より

…赤字に転落した国鉄再建のために1969年に国鉄財政再建促進特別措置法が制定されたさい,国鉄当局はその実施にあたって労使関係の変更が必須の条件であると判断した。1960年代後半には現場協議協定の発効もあり,国労,動労の戦闘力,規制力が強化されていたためである。最初,当局は日本生産性本部に依頼して管理職から一般職員にいたる体系的な生産性教育を実施し,受講生による労働組合との対抗グループを組織した。…

【労働運動】より

…こうした勢力の台頭にともなって,春闘においても67年には〈JC春闘〉という呼声が聞かれるようになり,ストなしで妥結する鉄の〈一発回答〉によって春闘相場が領導される傾向がみえはじめた。 これに対して,総評運動のなかでは,1960年代半ば以降,国労,動労,全逓など公労協傘下の単産を中心として,職場に根をすえた運動づくりによって戦闘力の回復が進められていった。国労では,〈職場に労働運動を〉というスローガンのもとに職場交渉権の獲得を目ざす運動が進められていった結果,60年代末には事実上団体交渉の場としての性格をもつ現場協議制が成立するにいたった。…

【労働組合】より

…また日本国有鉄道も87年民営化された。このため独特の運動を展開してきた国労,動労(現,JR総連)なども変化し,公労法適用諸組合の共同闘争機関として活躍してきた公労協も大きく変化した。
【労働組合の上部組織】
 企業別組合は特定企業の正規従業員を主体とする労働組合であるから,賃金,労働時間,退職金,定年制などの労働条件については企業とその企業の労働組合が団体交渉で決め,労働協約を締結するのが普通であり,また経営方針,設備投資,生産計画などについて労使で話し合い,それに伴う労働条件,諸制度の変更,出向・配置転換・応援の基準などについて協議している。…

※「動労」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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