日本大百科全書(ニッポニカ) 「国鉄動力車労働組合」の意味・わかりやすい解説
国鉄動力車労働組合
こくてつどうりょくしゃろうどうくみあい
略称動労。旧国鉄の機関車関係従業員により組織されていた労働組合。1951年(昭和26)5月23日、国鉄労働組合(国労)の職能別組織の一つであった機関車協議会は、賃金問題や当局との交渉方式に関して国労の方針に不満があり、機関車職務に従事する職員層が国労から脱退して国鉄機関車労働組合(機労)を結成した。結成当時の組合員数4万1600人。その後1959年7月の第7回大会において名称を国鉄動力車労働組合に変更した。
機労は1953年10月の公共企業体等労働組合協議会(公労協)結成に参加し、1960年9月には日本労働組合総評議会(総評)に加盟した。1960年代以降国労とともに春闘および合理化反対闘争でストライキを実施し、1970年代には動労の減速順法闘争により首都圏の鉄道をしばしば混乱させ、一時「鬼の動労」と評されるほど強気の戦術が目だった。しかし1980年代の行政改革最大の眼目といわれた国鉄分割・民営化の過程で、それまでの分割・民営化反対の方針を変えて1986年1月、国鉄当局と「労使共同宣言」を出し、当局に協力的な鉄道労働組合(鉄労)とともに国鉄改革を推進する立場にたった。これにより、国労とは対立することになり、1987年1月、動労は総評から脱退した。
1986年11月、国鉄分割・民営化法案が成立すると、分割・民営化後の労使関係をにらみ鉄労、鉄道社員労働組合連合会(社員労)、日本鉄道労働組合(日鉄労)などの組合との合体として、1987年2月、全日本鉄道労働組合総連合会(鉄道労連、結成当時組合員数約9万人)が発足、同年7月の第44回定期全国大会において動労は鉄道労連への加盟と動労の解散を決定しその歴史の幕を閉じた。1989年(平成1)6月、鉄道労連は略称をJR総連に改称。旧動労勢力はJR総連内で主力を占めている。
[川崎忠文]