勝北郡(読み)しようぼくぐん

日本歴史地名大系 「勝北郡」の解説

勝北郡
しようぼくぐん

美作国の北東部に位置する。郡の東部を因幡国境の那岐なぎ(一二四〇・三メートル)などを水源とする梶並かじなみ川、郡西端を加茂かも川が流れ、両川とも吉井川に合流する。正保郷帳に載る村名からみると、東は吉野よしの郡、南は勝南しようなん郡、西は東南条とうなんじよう郡・東北条とうほくじよう郡と接し、郡域は現在の勝田かつた郡の大半と、津山市の東部に及ぶ。

古くは勝南郡と合せて勝田郡と称した(→勝田郡。二郡に分割された時期はつまびらかでないが、中世末かとも考えられる。明確な行政単位として郡名がみられるのは近世からで、「美作一覧記」によれば、慶長五年(一六〇〇)美作国が小早川秀秋の領分になり、奉行稲葉内匠の下役大野好道が郡界を改め、七郡を一二郡に再編したときに勝南・勝北に分けたという。正保郷帳には二郡名がみえる。在地では従前から通称として用いられていた両郡名が、この段階で支配領主によって行政単位として把握されたものであろうか。両郡境が明確にされるのは津山藩森氏入封後の慶長検地によってであろう。なお「美作略史」によれば、寛文元年(一六六一)勝南郡を勝田南郡、勝北郡を勝田北郡に改称したが、天和二年(一六八二)には再び勝田郡に統一され、勝田郡南分・同北分として区別したとする。しかし「寛文朱印留」(寛文四年)には勝田郡とみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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