勝尾山城跡(読み)かつおやまじようあと

日本歴史地名大系 「勝尾山城跡」の解説

勝尾山城跡
かつおやまじようあと

[現在地名]御津町勝尾

備中境の勝尾山(二七〇メートル)に築かれた戦国時代末期の山城。船山ふなやま城ともいい、備中では信倉山のべくらやま城ともよんだ(御津町史)西方には深い谷を隔てて備中上高田かみたかた(現岡山市)忍山しのぶやま城と相対していた。

山麓金川かながわ足守あしもり(現岡山市)総社(現総社市)方面を結ぶ往来が通る戦略上の要衝で、戦国時代末期には当城およびこの付近の城をめぐって宇喜多氏と毛利氏の激戦がしばしば展開された。天正六年(一五七八)九月、津高つだか虎倉こくら城主伊賀家久が宇喜多直家から離反して毛利氏を頼るや、毛利輝元は同年一一月中旬三万の大軍を率いて直家の部将浮田信濃・岡剛介の籠る忍山城を包囲し、翌七年一月これを落城させた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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