勢多宿(読み)せたしゆく

日本歴史地名大系 「勢多宿」の解説

勢多宿
せたしゆく

勢多橋の東詰にあったとみられる宿。「延喜式」兵部省に記す勢多駅前身にしたと考えられる。「左経記」長元四年(一〇三一)九月三日条に「勢多駅」でしばらく休み食事をして夫馬を替えたとあるが、「中右記」永久二年(一一一四)一月二七日条には「勢多宿所近江館也」とみえ、伊勢奉幣に向かう藤原宗忠は、駅家の代りに近江国司の館を宿所としている。駅制の衰退によるものと思われる。寛喜三年(一二三一)の伊勢奉幣に際しては「勢多駅家」に勅使が泊まっているが、国司兼守護佐々木信綱が警備を命ぜられており(「民経記」同年一〇月九日条)、おそらくかつての国司の館が使用されたのであろう。「実暁記」に京から鎌倉までの宿次次第として「大津三里、勢多五十丁、野路二里」とあり、中世東海道の宿駅であったことが知られる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報