勢至堂村(読み)せいしどうむら

日本歴史地名大系 「勢至堂村」の解説

勢至堂村
せいしどうむら

[現在地名]長沼町勢至堂

江花えばな村の西、江花川上流域の山間に立地。集落は勢至堂峠の南東麓にあり、白河街道上の宿駅。勢至堂村由緒書(福島県史)によれば、蘆名盛氏が三代みよ(現郡山市)から長沼へ至る山路は難路で横死者も出たため、赤目越中・同四郎兵衛父子に命じ勢至堂峠を開かせ、天文一四年(一五四五)当村を設置。村名は盛氏が地内に勧請安置した勢至菩薩像に由来。天正一八年(一五九〇)蒲生氏郷領のときに宿継地とし、柏木隼人を検断に任じ、役料一五人扶持とした。以後柏木家が代々検断・本陣・問屋を兼任世襲したという。同一九年氏郷は天下一の茶碗焼吉左衛門(楽常慶)会津へ下向させた際「せいしとう」村に伝馬二疋の出役を命じている(「町野長門伝符状」楽美術館蔵)

文禄三年(一五九四)の蒲生領高目録に勢至堂とみえ、高一八石余。会津藩領から寛永二〇年(一六四三)に幕府領会津藩預地(南山御蔵入領)となる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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