北の富士勝昭(読み)キタノフジカツアキ

デジタル大辞泉 「北の富士勝昭」の意味・読み・例文・類語

きたのふじ‐かつあき【北の富士勝昭】

[1942~ ]力士。第52代横綱。北海道出身。本名、竹沢勝昭。昭和45年(1970)玉の海とともに横綱に昇進。優勝10回。引退後、年寄九重ここのえを襲名し、千代の富士北勝海ほくとうみの二横綱を育てた。→第51代横綱玉の海 →第53代横綱琴桜ことざくら

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「北の富士勝昭」の意味・わかりやすい解説

北の富士勝昭
きたのふじかつあき
(1942― )

第52代横綱。北海道旭川市生まれ。本名竹沢勝昭。1957年(昭和32)出羽海(でわのうみ)部屋に入門し、初土俵。1966年大関昇進、1970年初場所で三度目の優勝を果たして好敵手玉の海(1944―1971)とともに横綱昇進し、「北玉時代(きたたまじだい)」を築いた。身長185センチメートル、体重135キログラムの均整のとれた体で、かち上げから左差しての速攻、上手(うわて)投げや外掛けを得意とし、全勝3回を含む優勝10回を記録。幕内通算成績592勝294敗62休。大関時代に、入門前から慕っていた元横綱千代の山(ちよのやま)(1926―1977)が出羽海部屋を出て九重(ここのえ)部屋を設立するのに付いて行き、独立直後の1967年春場所には劇的な初優勝を飾った。1974年引退後に井筒(いづつ)部屋をおこし、先代の死去後に九重部屋を継承、千代の富士、北勝海(ほくとうみ)の両横綱を育て、日本相撲(すもう)協会理事を務めた。退職後、NHK相撲放送の解説者となった。

[徳増信哉 2019年12月13日]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「北の富士勝昭」の解説

北の富士勝昭 きたのふじ-かつあき

1942- 昭和時代後期の力士。
昭和17年3月28日生まれ。昭和32年出羽海部屋に入門。十両で全勝優勝し,39年入幕。42年千代の山の九重部屋にうつり,45年玉の海と同時に横綱に昇進(52代)。「現代っ子横綱」といわれた。49年引退。優勝10回。九重を襲名し,千代の富士,北勝海の2横綱をそだてた。平成4年九重部屋を千代の富士にゆずり,陣幕に名跡変更。10年日本相撲協会を退職,解説者となる。北海道出身。本名は竹沢勝昭。

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