千代の富士貢(読み)チヨノフジミツグ

デジタル大辞泉 「千代の富士貢」の意味・読み・例文・類語

ちよのふじ‐みつぐ【千代の富士貢】

[1955~2016]力士。第58代横綱。北海道出身。本名、秋元貢。愛称ウルフ通算1045勝、幕内通算807勝を記録するなどして一時代を築いた。優勝31回。平成元年(1989)国民栄誉賞受賞。引退後、年寄陣幕を襲名。のちに当時の九重親方年寄名跡を交換し、年寄九重を継承。→第57代横綱三重ノ海 →第59代横綱隆の里

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関連語 大鵬 風貌 関節

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「千代の富士貢」の意味・わかりやすい解説

千代の富士貢
ちよのふじみつぐ

[生]1955.6.1. 北海道,福島
[没]2016.7.31. 東京,文京
第58代横綱。本名秋元貢。同郷の横綱千代の山の九重親方にスカウトされて入門。1970年9月初土俵。持病ともいうべき肩の脱臼に悩まされ,十両幕内を往復していたが,ウエイトトレーニングによる筋肉づくりでそれを克服。1979年3月の 3度目の入幕から,前まわしを取って一気に寄り切る速攻相撲を身につけ急激に強くなった。1981年初場所で初優勝を飾り大関昇進し,名古屋場所後,横綱に昇進。1988年には双葉山(双葉山定次)の 69連勝に次ぐ 53連勝を記録。1989年9月国民栄誉賞を受賞。1990年春場所で史上初の通算 1000勝を達成。1991年5月14日,夏場所途中で引退。優勝 31回(全勝 7回)。通算 1045勝。年寄九重を襲名。日本相撲協会の理事を務めた。(→相撲

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百科事典マイペディア 「千代の富士貢」の意味・わかりやすい解説

千代の富士貢【ちよのふじみつぐ】

力士。第58代横綱。北海道松前郡生れ。本名秋本貢。九重部屋。1970年9月初土俵,1975年9月入幕。何度も肩を脱臼(だっきゅう)して,幕内から幕下まで陥落したが,筋力トレーニングで克服し,1981年9月横綱に昇進。瞬発力を生かした一気の寄りと上手投げを得意として,807勝253敗,優勝31回,通算1045勝,53連勝(1988年)など数々の記録を残した。1991年5月引退。協会が功労に対し,一代年寄〈千代の富士〉を贈ろうとしたが,これを断り年寄陣幕を襲名。1989年国民栄誉賞を受賞。現九重親方。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「千代の富士貢」の意味・わかりやすい解説

千代の富士貢
ちよのふじみつぐ
(1955―2016)

第58代横綱。北海道生まれ。本名秋元貢。明治大学付属高校中退。1970年(昭和45)中学3年で九重(ここのえ)親方(元横綱千代の山)に誘われて上京し、角界に入った。生まれつき肩の関節が弱く、十両時代から引退まで、脱臼(だっきゅう)などのけがで20回も入院を経験している。しかし、天性の運動神経と努力で、1981年横綱に昇進し、通算1045勝(歴代2位)、連勝記録53(歴代3位)の成績を残した。横綱昇進時で183センチメートル、123キログラムの小兵力士で、色が浅黒くて目つきが鋭く、オオカミを思わせる風貌(ふうぼう)から、「ウルフ」の愛称で親しまれた。1989年(平成1)、力士として初めて国民栄誉賞を受賞した。1991年に引退し、九重部屋を継いだ。

[向坂松彦]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「千代の富士貢」の解説

千代の富士貢 ちよのふじ-みつぐ

1955- 昭和後期-平成時代の力士。
昭和30年6月1日生まれ。昭和45年九重部屋に入門。50年入幕。ウルフとよばれ,右まわしをひきつけての速攻相撲で昇進し,56年58代横綱となる。63年53連勝を記録。平成3年引退。通算1045勝は史上最多。優勝31回は大鵬(たいほう)の32回につぐ。4年九重部屋をつぐ。平成元年国民栄誉賞受賞。20年日本相撲協会理事。北海道出身。本名は秋元貢。

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