北佐野村・南佐野村(読み)きたさのむら・みなみさのむら

日本歴史地名大系 「北佐野村・南佐野村」の解説

北佐野村・南佐野村
きたさのむら・みなみさのむら

京都南禅寺得橋とくはし郷に属した中世村(→得橋郷。合せて佐野村・佐野庄ともよばれ、近世の佐野村に継承されたとみられる。延慶二年(一三〇九)六月二〇日の得橋郷佐野村内検田数目録案(南禅寺文書、以下同文書は省略)に二村名がみえる。北佐野村は総田数二三町八段一五代、うち現作田二三町七段から寺田神田・人給田(番頭免・番頭給・定使給)などの除田と屋敷地等を差引いた定田が一八町三〇代。これはさらに段別一斗の加徴米(地頭職得分)を負担する公田二町二段三〇代(これは本来の国衙領と思われ、年貢は国衙へ納入される)、銭田(段別三〇〇文の銭を年貢とする)一町七段一〇代と加徴米を負担しない定田(年貢段別七斗五升)一町二段、佃(年貢段別一石五斗六升二合五勺)六段二〇代、役田(年貢段別八斗五升)五町五段二〇代、一色田(年貢段別一両の綿と段別八斗五升の米)六町七段から構成されていた。年貢は米一二七石二升、銭は畠地子・銭田分・一色田請料(段別一〇〇文)・長夫用途(名役)の合計で一九貫九六〇文、公事は糸四両・油二升四合ときめられていた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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