日本歴史地名大系 「北安田村」の解説 北安田村きたやすだむら 島根県:能義郡伯太町北安田村[現在地名]伯太町安田(やすだ)安田中村・未明(ほのか)村の北、伯太川支流の安田川流域から北と東の山間に広がる村。田面崎(たのもざき)遺跡・岩清水(いわしみず)遺跡・中谷(なかだに)遺跡・虫尾(むしお)遺跡などがあって弥生土器・勾玉・貝輪などが出土している。また長田の御崎山(おさだのみさきやま)古墳(円墳)をはじめ石堂(いしどう)・文珠山(もんじゆやま)・横手(よこて)・中山(なかやま)・千本山(せんぼんざん)・中山横山(なかやまよこやま)・長田などに円墳や横穴があり埴輪・圭頭大刀・馬具などが出土している。田面神社は式内社で同社の御田の名によって安田の地名が生じたと伝える。また安田八幡宮は大宝元年(七〇一)の勧請と伝える。また稲生(いないけ)神社も古い社と伝え、享禄五年(一五三二)の棟札を所蔵している。中世には安田庄に属し、同庄が下地中分されたのちは地頭方の北方(北安田庄)に属したとみられる。長田には長田城跡、北谷(きただに)には尼子氏時代の砦と伝える鉢伏(はちぶせ)城跡がある。 北安田村きたやすたむら 石川県:松任市北安田村[現在地名]松任市北安田町・千代野東(ちよのひがし)一―五丁目・蕪城(ぶじよう)一―五丁目平木(ひらぎ)村の南に位置し、木曾(きそ)街道が通る。中世には安田(やすだ)保・北安田保が当地一帯に成立した。正保郷帳によると高二千三四〇石余、田方一四六町二反余・畑方九町八反。寛文一〇年(一六七〇)の村御印(新松任町史)では高二千四九七石(うち一〇一石は寛文六年検地高入分)、免五ツ一歩、小物成は油役一七匁(退転)、鳥役八匁(ただし鷹場につき免除)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by