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暁烏敏 あけがらす はや

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美術人名辞典の解説

暁烏敏

真宗大谷派の僧。石川県生。14才で得度。雑誌「精神界」の編集に携わるなど宗政改革に奔走した。戦時中から目を患い、後には失明するが、昭和26年には宗務総長となり精神主義に基づく仏教伝導に努めた。昭和29年(1954)寂、78才。

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百科事典マイペディアの解説

暁烏敏【あけがらすはや】

真宗大谷派の僧侶。石川県の明達寺に生まれる。1896年真宗大学に入学,同年,清沢満之らによる東本願寺の改革運動に参加,退学処分を受けたが,翌年復学し,1900年卒業。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

暁烏敏 あけがらす-はや

1877-1954 明治-昭和時代の僧,仏教学者。
明治10年7月12日生まれ。清沢満之(まんし)に師事して浩々洞(こうこうどう)にはいり,明治34年雑誌「精神界」を発刊,精神主義をとなえる。のち生家の石川県真宗大谷派明達寺の住職となり,布教と著述につとめた。昭和26年同派宗務総長。昭和29年8月27日死去。77歳。真宗大(現大谷大)卒。法名は恵祐。著作に「歎異抄講話」など。
【格言など】人が自分を軽蔑して居るというて憤慨するのは自分自らが軽蔑しているのだ

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世界大百科事典 第2版の解説

あけがらすはや【暁烏敏】

1877‐1954(明治10‐昭和29)
明治~昭和期の真宗大谷派(東本願寺)の僧。石川県の明達寺に生まれた。金沢共立尋常中学,京都大谷尋常中学を終え,1896年真宗大学に入学。同年,清沢満之らによる東本願寺の改革運動に参加,大学改革派委員となり退学処分を受ける。翌年復学し,99年に卒業して明達寺の住職となる。東京の浩々洞において清沢の教えをうけ,精神主義に傾倒,以後それによる伝道活動に尽力した。寺内に香草社を創立して著述を出版し,文教院を設けて聖徳太子を奉賛した。

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大辞林 第三版の解説

あけがらすはや【暁烏敏】

1877~1954) 真宗大谷派の僧。石川県生まれ。法名恵祐。大谷大卒。清沢満之に師事、仏教近代化を唱える。日本全国・海外で布教、1951年(昭和26)本願寺宗務総長。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

暁烏敏
あけがらすはや

[生]1877.7.12. 石川
[没]1954.8.27.
真宗大谷派の僧。 1899年真宗大学卒業。清沢満之門下として信仰運動に清風を吹込み,1951年には大谷派の宗務総長となった。真宗大谷派では,61年,宗祖親鸞の 700回忌を機に,翌年から同朋会運動を始めたが,この運動は,既成仏教の布教教団への再出発に刺激を与えることになった。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

暁烏敏
あけがらすはや
(1877―1954)

明治から昭和期の真宗大谷派僧侶(そうりょ)、仏教学者。石川県石川郡出城(でじろ)村北安田(白山(はくさん)市)明達寺(みょうたつじ)、暁烏依念(えねん)の長男。1891年(明治24)東本願寺で得度(とくど)。1900年真宗大谷大学(現大谷大学)卒業後、命ぜられて東京外国語学校に学び外交官を志すが、やがて退学。佐々木月樵(げっしょう)、多田鼎(かなえ)らと清沢満之(きよざわまんし)に師事し、清沢が東京・本郷に開いた浩々洞(こうこうどう)の同人となり、精神主義運動に参加した。1901年、『精神界』発刊にあたり編集庶務を担当した。1910年、講話会を通して異安心(浄土真宗の異端説)を問われた。1951年(昭和26)宗務総長。昭和29年8月27日没。[池田英俊]
『『暁烏敏全集』全27巻(1956~1960・香草舎) ▽常光浩然著『暁烏敏』(『明治の仏教者 下巻』1969・春秋社・所収)』

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世界大百科事典内の暁烏敏の言及

【親鸞】より

…しかし,1921年に〈恵信尼消息〉が発見され,また親鸞自筆と伝えられるものの筆跡研究が進むにつれて,親鸞の実在を疑う論は影をひそめた。他方,自己のはからいを捨てて阿弥陀一仏に帰依することを説いた親鸞の思想に対する,近代的な解釈が始まり,清沢満之(きよさわまんし),暁烏敏(あけがらすはや)などの思想家,宗教家の論著が人々に大きな影響を与え,《歎異抄》が知識人の間で広く読まれるようになった。近代的な自我意識が成立するなかで,自己を徹底的に凝視する親鸞の思想に共鳴する人々があらわれ,倉田百三の戯曲《出家とその弟子》は,若い知識人に強い影響を与えた。…

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