日本大百科全書(ニッポニカ) 「北欧映画」の意味・わかりやすい解説
北欧映画
ほくおうえいが
スカンジナビア映画ともよばれる。デンマーク、フィンランド、アイスランド、ノルウェーおよびスウェーデンの映画の総称。これらの国はもともと同一文化圏に属し、かつ1か国の映画資本が小さいため、演劇や文学よりも流動的な交流関係が初期から普通だった点に特徴がある。
[三木宮彦]
初期の北欧映画
フランスのリュミエール兄弟の発明したシネマトグラフがほぼ1896年中に各国へ達したとき、北欧映画の歴史が始まった。最初に栄えたのはデンマーク映画で、当時まだ異国の風景などを実写した単純な見せ物だった映画にエロティシズムと人間的な感情の発露を引き入れ、その新鮮さで観客をひきつけた。『深淵(しんえん)』(1910)などで世界最初の妖婦(ようふ)(バンプ)役をつくりだした女優A・ニールセンはそのシンボルといえよう。しかし、第一次世界大戦後はスウェーデン映画に場を譲った。
[三木宮彦]
1910年代から第二次世界大戦まで
1910~1920年代に至るサイレント映画時代後半が北欧映画の第一の黄金期で、スウェーデンのシェーストレームの『生恋死恋(せいれんしれん)』(1918)、スティルレルの『吹雪(ふぶき)の夜』(1919)などを代表作とする。フランスの映画史家サドゥールは世界へのこの時代の北欧映画の貢献を、(1)純真な人生描写としばしばそれに伴う神秘主義、(2)風景描写の開拓、(3)大胆なエロティシズム、に要約するが、事実、当時のアメリカ映画の幼稚さや極端に舞台中継的なフランス映画に対し、北欧の目は自然で新鮮であった。しかし数年後にはアメリカ映画の芸術的成熟とヨーロッパ進出の本格化とによって、多くの者が仕事の場を失い、デンマークのドライヤーさえ代表作『裁かるるジャンヌ』(1928)はフランス資本に雇われて撮ったものである。また、1925年に新人女優グレタ・ガルボを連れて渡米したスティルレルは、ハリウッドの会社優位の製作システムに敗れた。1930年代にトーキーが普及すると、サイレント映画時代には比較的低かった言語の壁が、ますます北欧映画を世界映画市場の片隅へ追いやった。1930年代から第二次世界大戦中に及ぶ沈滞期にデンマーク政府は映画の文化財性を認め、自国映画を保護するための「映画法」を1938年に制定したが、これは世界でも早い例に属する。
[三木宮彦]
第二次世界大戦後
第二次世界大戦後、北欧でも戦禍が刺激となってヒューマニズムに基づく多くの映画がつくられ、1940年代後半からの第二の黄金期を生む。とくにカンヌ国際映画祭ではスウェーデンのシェーベルイAlf Sjöberg(1903―1980)の『令嬢ジュリー』(1951)が、ベネチア国際映画祭ではドライヤーの『奇跡』(1955)がそれぞれグランプリを受賞し、北欧映画復興を世界に知らしめた。これに続いてはベルイマンが『第七の封印』『野いちご』(ともに1957)、『沈黙』(1963)などで多くの国際映画祭で大きな賞を得て、「北欧映画の伝統を継ぐ者」といわれるに至った。その精神性の高い作風は世界でも独自のものである。ベルイマンは『ファニーとアレクサンデル』(1982)で映画の監督はやめたが、その後も彼自身シナリオを書き、デンマーク出身のアウグストBille August(1948― )がそれを演出して映画化するという協力関係が続いた。
1960年代はテレビジョンの脅威に明けたが、スウェーデン映画研究所Svenska Filminstitutet設立(1963)をはじめ、各国とも映画保護機関の新設ないし改組を行い、国家的規模で非商業的芸術映画の製作と輸出入、シネクラブ支援、作品保存、映画芸術家・技術者の育成に努力してきた。これによって若い映像作家も登場の機会を得、フィンランドのドンネルJörn Donner(1933―2020)やデンマークのカールスンHenning Carlsen(1927―2014)など、ヌーベル・バーグ派の出発を助けた。ただし、その中心人物であるスウェーデンのウィーデルベルイBo Widerberg(1930―1997)の「ベルイマンのような神秘的北欧でなく、現実を描こう」という宣言は両刃(もろは)の剣の働きをした。すなわち、社会問題を真剣に追う流れはできたが、作者の未熟さにより地方的な内容に終わることも多く、この時期の作品で世界に知られるものは彼自身の『短くも美しく燃え』(1967)くらいしかない結果となった。1970年代のスウェーデンは一種の沈滞期だったが、1980年代に入ってもっと若い作家が育ち、ハルストレムなどはハリウッドへ進出した。
なお、1967年公開のシェーマンVilgot Sjöman(1924―2006)の社会風刺作『私は好奇心の強い女・イエロー篇』のヌード描写をめぐって政府と芸術家たちとの間に論争が起こり、その結果スウェーデンはセックスに関する検閲を廃止(1967)した世界最初の国となった。ただし、暴力やSMなどに対する検閲は残った。セックス描写の自由化を利用してスウェーデンとデンマークは一時ポルノ的映画の大量生産地になったが、すぐに沈静した。
フィンランドは、タピオワーラNyrki Tapiovaara(1911―1940)によって近代的、都会的な技法が導入されたが、代表的な監督のモルベルイRauni Mollberg(1929―2007)はむしろ自国文化の土俗的な根を求めた。一方、カウリスマキは都会的なドライ・タッチの無国籍感覚で認められたが『白い花びら』(1998)などでは自国文化回帰がみられる。
アイスランドは1980年代にようやく劇映画の製作を開始したが、おおむねスウェーデンなどとの合作で、テーマは現代の社会問題かバイキング史劇に二分されている。
ノルウェーは草創期以来作品はつくり続けてきたが、長らく自国出身の映像作家に乏しいのが悩みであった。しかし1940年代にジャーナリスト出身のスコウエンArne Skouen(1913―2003)が第二次世界大戦中の対ナチ・レジスタンスを題材とした『脱出地点』(1957)を発表してからしだいに活気づき、1970年代以後、テレビジョン出身の若い人材も映画界に進出している。北欧諸国とも、芸術的には映画とテレビは共存関係にあり、優秀な監督には女性が多いのが特色である。ノルウェーでのパイオニア的存在はブライエンAnja Breien(1940― )であるが、ベルイマンの作品にも出演して有名な女優ウルマンLiv Ullmann(1939― )が1990年代に監督に転向し『リブ・ウルマンのクリスティン』(1995)などの秀作を世に問うている。
各国とも、ヌーベル・バーグ系の人たちは1980年代でほとんど活動を休止し、その後に第二、第三の新人の世代が登場しているが、例外はスウェーデンのトロエルJan Troell(1931― )で、彼はむしろ20世紀末に近づいてから大作を手がける機会を得ている。
[三木宮彦]
児童映画・アニメーション・ドキュメンタリーなど
特別な分野では、伝統的に児童映画の製作が盛んで、専門の監督にはスウェーデンのヘルボムOlle Hellbom(1925―1982)がおり、ハルストレムも、アメリカ進出以前はその後継ぎのような形で児童文学の映画化に従事していた。アニメーション作家のパイオニアはスウェーデンのベルイダールVictor Bergdahl(1878―1939)だが、1960年代以来各国で長編もしばしばつくられるようになった。代表的作家にはスウェーデンのペール・オーリーンPer Åhlin(1931― )がいる。ドキュメンタリーや短編の製作は奨励されており、ドキュメンタリー作家としては、スウェーデンのスックスドルフArne Sucksdorff(1917―2001)とレイセルErwin Leiser(1923―1996)が国際的に知られている。また、スウェーデンの画家エッゲリングViking Eggeling(1880―1925)の抽象アニメーション短編『対角線交響楽』(1924)は、世界の実験映画の先駆的作品である。
[三木宮彦]
北欧映画の現状
2010年代になって、北欧諸国のスクリーンは60~90%アメリカ映画に占領されたままで、自国の映画製作本数は、年間スウェーデン10本以下、デンマーク、ノルウェー、フィンランドは数本にすぎず、アイスランドに至ってはどうにか1本程度の映画しかない。また、制作資金も、自国だけでなく、ドイツ、イギリス、フランスなどからも集めてくる例が多い。
21世紀を迎えてもっとも活動的なのは、デンマークのラース・フォン・トリアーで、『ダンサー・イン・ザ・ダーク』(2000)はカンヌ国際映画祭グランプリを久々に北欧へもたらした。また、1990年代に彼が提唱した「ドグマ」という名の低予算製作システムは、ヨーロッパ本土へも影響を広げつつある。
一方、1980年代末ごろから各国とも国内少数民族(先住民、移住者など)の社会的発言力が増してきており、彼ら自身による彼らのための映画制作も始まっているが、この動きは今後ますます強まるものと思われる。
デンマークのトリアーが中心となって提唱した「ドグマ95」の映画製作メソッドは、この方法によるいくつかの作品の製作が実現されたにもかかわらず、トリアー自身はその後この方法を展開させることなく、『ドッグヴィル』(2003)以降は、まったく異なった個性的な映画の実験に向かった。こうした実験精神に基づき、『アンチクライスト』(2009)や『メランコリア』(2011)といった、風変わりな作品を発表している。
スウェーデンではスティーグ・ラーションStieg Larsson(1954―2004)のベストセラー小説「ミレニアム」シリーズを映画化した『ミレニアム』3部作が、2009年に製作され大ヒット。これの第1作はアメリカでリメイク版が製作された。
[三木宮彦・小松 弘]
『『世界の映画作家34 ドイツ・北欧・ポーランド映画史』(1985・キネマ旬報社)』▽『三木宮彦著『ベルイマンを読む――人間の精神の冬を視つめる人』(1986・フィルムアート社)』▽『ウィリアム・ジョーンズ編、三木宮彦訳『ベルイマンは語る』(1990・青土社)』▽『小松弘著『Century Books 人と思想166 ベルイマン』(2000・清水書院)』▽『L・V・トリアー、S・ビョークマン著、オスターグレン晴子訳『ラース・フォン・トリアー――スティーグ・ビョークマンとの対話』(2001・水声社)』