日本歴史地名大系 「郷之原村」の解説
郷之原村
ごうのはらむら
「ごうのはる」とも読み、古くは郷原・加宇原などとも書いた。
〔中世〕
文保二年(一三一八)六月五日の日向在国司所職注文(土持文書)に「加宇原名四貫二百文 粮米五斗」とみえ、「此外引田一丁六反」との注記がある。南北朝期
天文一〇年(一五四一)に飫肥城を継承した島津忠広は、出城として当地に陣を取り、羽島越後守・宇宿小次郎を地頭として置いた。同一四年この地頭両人は河崎三河守の計略に応じて、伊東義祐方に付くこととし、郷之原城には河崎三河守が入ったという(「北郷忠相等三代日帳写」都城島津家文書、「日向記」など)。翌一五年一月一九日、忠親(忠広の子)は郷之原を攻めることとし、忠豊(忠親の子)・北郷時久らは庄内などの兵を率いて当地に攻め入り合戦となっている(北郷氏系図など)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報