日本歴史地名大系 「北牧村」の解説
北牧村
きたもくむら
寛文郷帳では北牧村・南牧村ともに牧村と記されるが、当村は田方は水旱両損と注記され二七八石余、畑方五八四石余、幕府領。元禄郷帳でも牧村とあるが、元禄一〇年(一六九七)の秣場出入和解証文(宮下文書)では北杢村の名がみえる。三国街道設定後、宿として指定され、金井宿へ一八町、横堀宿へ二八町であった。吾妻川を渡った人馬・継立荷物はいちばん南の
北牧村
きたまきむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報