十一月事件
じゅういちがつじけん
1934年(昭和9)11月20日、皇道派青年将校のリーダー的存在であった村中孝次(たかじ)、磯部浅一(いそべあさいち)および士官学校予科区隊長の片岡太郎が、陸軍士官学校生徒5名を率いてクーデターを計画したとして逮捕された事件。士官学校事件ともいわれる。軍法会議は証拠不十分との理由で不起訴としたが、村中、磯部、片岡は停職、士官学校生徒は退校処分となった。林銑十郎(せんじゅうろう)陸相のもとで、永田鉄山(てつざん)軍務局長を中心とする統制派は、皇道派を軍中央部から一掃し、青年将校の政治的策動を封じ、軍の一元的統制強化を図っていたため、村中、磯部ら皇道派はこれに反発、統制派によるでっちあげ説を主張し、辻政信(つじまさのぶ)大尉らを誣告(ぶこく)罪で逆告訴した。軍法会議がこれを取り上げなかったため、35年7月「粛軍ニ関スル意見書」を配布、統制派攻撃を公然と開始した。この結果両派の対立は激化し、相沢事件を誘発することになった。
[榎本勝巳]
『今井清一他編『現代史資料4 国家主義運動1』(1963・みすず書房)』▽『高橋正衛著『昭和の軍閥』(中公新書)』
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
デジタル大辞泉
「十一月事件」の意味・読み・例文・類語
じゅういちがつ‐じけん〔ジフイチグワツ‐〕【十一月事件】
昭和9年(1934)11月、陸軍皇道派青年将校と士官学校生徒がクーデターを企てたとして検挙された事件。軍法会議において証拠不十分として不起訴になった。士官学校事件。
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
じゅういちがつ‐じけん ジフイチグヮツ‥【十一月事件】
昭和九年(
一九三四)一一月、陸軍皇道派の青年将校、
士官候補生がクーデターを計画したとして、統制派がかれらを摘発した事件。士官学校事件。
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
世界大百科事典内の十一月事件の言及
【士官学校事件】より
…1934年に起こった陸軍の統制派と皇道派との抗争事件。十一月事件とも呼ばれる。同年8月陸軍士官学校の生徒隊中隊長に就任した辻政信大尉は,腹心の士官候補生を使って,士官候補生に影響を及ぼしていた皇道派青年将校村中孝次大尉(陸軍大学校在学中)から,皇道派が11月27日召集の第66臨時議会の前後にクーデタを計画しているという情報を探りださせた。…
※「十一月事件」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報