昭和期の陸軍部内の派閥。1920年代後半,宇垣一成陸相のもとで形成された宇垣閥に反発した一派の系譜をひく荒木貞夫,真崎甚三郎を中心とする派閥。陸相時代の荒木が国軍を皇軍といったり,皇道精神を唱えたりしたことから,皇道派という呼称が生まれた。満州事変前夜からの陸軍部内の〈国家革新〉的気運のなかで,1933年まで陸軍部内の実権をにぎった。荒木陸相,真崎参謀次長以下,柳川兵助陸軍次官,山岡重厚軍務局長,松浦淳六郎人事局長,小畑敏四郎参謀本部第三部長,秦真次憲兵司令官,持永浅治東京憲兵隊長らの皇道派が陸軍の要職を占め,さらに平野助九郎・満井佐吉ら佐官級軍人,荒木の〈革新〉的姿勢に期待を抱いた急進的な隊付青年将校もこれに連なった。しかし,とくに荒木に強くみられる観念的・日本主義的な〈革新論〉,対ソ即戦的見解などが,宮廷グループ,政・財界の危惧を招いたうえ,その派閥的人事に対する陸軍部内の反発も強く,33年末,荒木が陸軍予算を海軍に譲ったことを一因に,陸軍部内の荒木への信望は衰え,荒木辞職後,34年3月就任した永田鉄山軍務局長に代表される幕僚層を中心とする反皇道派勢力(いわゆる統制派)の反撃にあい,皇道派系要人は相次いで左遷された。こうした対立のなかで,皇道派は,平沼騏一郎擁立運動を行うとともに,反対派を〈国家社会主義〉として非難。その間,怪文書が横行し,34年11月の士官学校事件,35年8月,真崎教育総監更迭に憤慨した相沢三郎中佐による永田軍務局長斬殺事件(相沢事件)をへて,翌年の二・二六事件に至る。二・二六事件の結果,皇道派系人物の多くは軍を追われ,陸軍部内におけるその勢力はほぼ消滅した。
執筆者:須崎 慎一
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昭和前期の陸軍の派閥の一つ。荒木貞夫・真崎甚三郎・柳川平助・小畑敏四郎らの将官と国家改造を希求する尉官級の隊付将校で形成。陸軍を慣例的に国軍とよんでいたのを荒木が皇軍とよんだことに由来する。1931年(昭和6)12月に荒木が陸相に就任し,翌32年1月真崎が参謀次長になると最盛期となり,次官・軍務局長・人事局長と陸軍省の枢要ポストを占めた。皇道中心の精神主義者や農本主義的思想の将校が多かったため,近代的国家総力戦の理解に乏しく,国家改造運動は尉官級の将校のクーデタによる天皇親政の政治実現を目ざした。対ソ主敵論を主張。35年に相沢事件,36年に2・26事件を決行し敗れた。しかし近衛内閣では荒木・柳川の皇道派系将官を閣僚に起用,東久邇宮(ひがしくにのみや)内閣でも小畑が国務相に就任している。
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…1935年8月12日相沢三郎陸軍中佐が,統制派の陸軍省軍務局長永田鉄山を白昼省内で斬殺した事件。相沢は1931年青森の歩兵第5連隊大隊長就任後,十月事件が計画されるころより,同連隊付の大岸頼好中尉を通じて皇道派の青年将校と接触を深め,その思想に傾倒していった。34年3月永田が軍務局長に就任するや,荒木貞夫陸相の後を受けた林銑十郎陸相の下で軍中央部からの皇道派追放の圧力が強まり,士官学校事件をめぐり青年将校運動のリーダー村中孝次,磯部浅一が停職処分(のち免職)をうけると,直情的な相沢の憤激はきわまった。…
…観念右翼には国本社,建国会,血盟団,神兵隊,大日本生産党,大東塾など,革新右翼には経倫学盟,日本国家社会党,新日本国民同盟,日本革新党など,中間派には東方会,大日本青年党,国粋大衆党などがあったが,中間派は思想上の立場からいえば革新右翼に分類することも可能である。これらの右翼団体の多くは軍部内のファッショ的革新派や革新官僚と結びついていたが,観念右翼は皇道派に,革新右翼と中間派の多くは統制派に親近感をいだいていた。テロをともなう彼らの運動は,満州事変前後から活発化したが,多くは大衆的基盤が弱く,理論性に乏しく,非合法活動に走った場合には弾圧されるなど,全体としては政治のファッショ化を促進する役割を果たしたにとどまった。…
…(1)軍隊の上層部が軍事力を背景に政治的特権を握った場合,(2)出身地,地位,政策などによってつくられた軍隊内のグループが,政治的行動を行う場合,(3)地方に割拠した軍事集団が,独立の地方勢力となった場合など,それらの集団・グループを指す用語として使われている。プロイセンや第2次大戦前の日本のように,軍隊が優越した政治的地位を占めている場合にその上層部を軍閥というのは(1)の場合であり,明治以後の陸軍における長州閥,海軍における薩摩閥や,昭和期の陸軍における皇道派,統制派,海軍における条約派,艦隊派などを軍閥というのは(2)の場合であり,辛亥革命後の中国における各地の半独立勢力や,西南戦争直前の薩摩の私学校党などは(3)の場合である。また(1)の範疇に属するが,南アメリカ諸国などでときおりみられるように,他国の支援をうけた軍人の一派が政治的実権を握るような場合もある。…
…昭和期,陸軍内の皇道派に反対する派閥。皇道派に比べて派閥としての実態は明確でなく,皇道派による派閥人事や,その観念性,および皇道派に連なる急進的な隊付青年将校の行動を統制をみだすものとして反発する反皇道派の中央幕僚層の総称とみなすべきであろう。…
…1936年2月26日に起こった皇道派青年将校によるクーデタ。満州事変開始前後から対英米協調・現状維持的勢力と,ワシントン体制の打破をめざし国家の改造ないし革新をはかる勢力との抗争が発展し,さらに後者の最大の担い手である陸軍内部に,国家改造にあたって官僚・財界とも提携しようとする幕僚層中心の統制派と,天皇に直結する〈昭和維新〉を遂行しようとする隊付青年将校中心の皇道派との対立が進行した。…
※「皇道派」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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