精選版 日本国語大辞典 「相沢事件」の意味・読み・例文・類語
あいざわ‐じけん あひざは‥【相沢事件】
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
1935年(昭和10)8月12日、陸軍中佐相沢三郎が陸軍省で執務中の軍務局長永田鉄山(てつざん)少将を斬殺(ざんさつ)した事件。二・二六事件の伏線となったもので永田事件ともいう。相沢はかねてから村中孝次、磯部(いそべ)浅一ら皇道派青年将校と親交があり、彼らの思想に共鳴していた。1934年の十一月事件(士官学校事件)をきっかけとして統制派と皇道派の抗争が表面化し、翌1935年7月皇道派が首領と仰ぐ真崎甚三郎(まざきじんざぶろう)教育総監更迭問題が起こるや、相沢は、永田が「重臣、財閥、政党の手先となり皇軍を私兵化」している統制派の元凶であると考え、永田殺害を決意するに至った。相沢公判は1936年1月28日第一師団軍法会議で開始され、皇道派はこの公判を統制派批判に利用するため法廷闘争を展開するが、これが行き詰まると二・二六事件決起計画に転じる。相沢は5月7日死刑を宣告され、翌日第一師団高等軍法会議に上告したが棄却され、6月30日判決が確定、7月3日死刑が執行された。
[安部博純]
『菅原裕著『相沢中佐事件の真相』(1971・経済往来社)』▽『松本清張著『昭和史発掘7・8』(1968、1969・文芸春秋)』▽『林茂他編『二・二六事件秘録1』(1971・小学館)』
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報
永田事件とも。1935年(昭和10)8月12日,陸軍省軍務局長永田鉄山少将が陸軍中佐相沢三郎に局長室で斬殺された事件。永田は数年後の陸軍の実質的指導者・権力者,統制派の中心人物と目されていた。真崎甚三郎教育総監の更迭に刺激された皇道派の相沢に斬られたもので,現役陸軍将校の上官殺害という陸軍史上の大不祥事。事件は日本政治の分岐点となり,2・26事件の原因の一つとなった。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
地震や風雨などによる著しい災害のうち、被災地域や被災者に助成や財政援助を特に必要とするもの。激甚災害法(1962年成立)に基づいて政令で指定される。全国規模で災害そのものを指定する「激甚災害指定基準に...
9/11 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新