改訂新版 世界大百科事典 「十部伎」の意味・わかりやすい解説
十部伎 (じゅうぶぎ)
shí bù jì
中国,唐朝の宮廷の饗宴の際に行われた宴饗楽の上演様式名。初め隋の文帝のとき六朝以来の俗楽と外来音楽のうち7種を取って七部伎を組んだ。俗楽系の清商伎,文康伎,亀茲楽の要素をふくむ国伎,西域楽系の亀茲(クチャ)伎,安国(ブハラ)伎,天竺(インド)伎,朝鮮楽系の高麗(高句麗)伎がそれである。次の煬帝(ようだい)のとき国伎を西涼伎,文康伎を礼畢と改名し,新たに疏勒(カシュガル),康国(サマルカンド)の両西域楽を加えて九部伎とした。太宗(唐)のとき九部伎最後の厳かな礼畢を止め明るい慶賀の讌楽伎に改め,これを最初におき,しかも642年高昌を平らげると高昌伎を加えて,ここに十部伎が成立した。各伎は歌,舞,演奏の曲を二つから六つもち,楽舞の人数は讌楽伎を除いて7~25人で,一度に十部すべてを上演した。外来語の曲名,35種をこえる楽器,舞人の装束などから,各伎強い個性をもっていたとみえる。8世紀に新外来音楽と俗楽が融合して新俗楽が行われると用いられなくなり,唐末をもって廃止された。
執筆者:吉川 良和
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報