中国の外来音楽で特に漢族音楽に著しい影響を与えた西域音楽をいう。先秦時代も四夷楽としてあったが,北方匈奴の楽と張騫(ちようけん)が持ち帰った西域曲が,新しい漢朝音楽を作ったのを始まりとする。以後はイラン・インド系の西域楽を中心に,南北朝にかけて胡服,胡食等の胡俗とともにますます流行し,非漢族支配下の北方はことに朝野に浸透した。隋の文帝は雅楽を擁護して胡俗楽を七部伎と分けた(6世紀末)が唐初に十部伎となり,玄宗期(8世紀中葉)にはまた新しく入った胡楽と俗楽が融合し音楽芸術の最盛期を迎えた。やがて胡楽の影響力は衰えるが,漢・唐間,胡楽人,胡楽器,胡楽曲,胡楽調等が到来して各朝音楽の中心的役割を果たした。とくに亀茲(クチャ)楽が歓迎され琵琶師蘇祗婆(そしば)が伝えたインド系楽理による七調は唐・宋俗楽調だけでなく日本の雅楽調名にも残る。また日本の雅楽の主要楽器,羯鼓(かつこ),篳篥(ひちりき),琵琶等みな胡楽器である。
執筆者:吉川 良和
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
…さらに仏教文化の栄えた時代の出土品には,琵琶,箜篌(くご)類と細腰鼓(腰鼓)が見られて,それぞれの時代の音楽を彷彿させる。また中国で胡楽として伝えられるものが中央アジアの音楽を総称しているといえるが,唐代に完成された十部伎のうち五部伎(亀茲(クチャ),康国(サマルカンド),疏勒(カシュガル),安国(ブハラ),高昌の各楽)までが中央アジアの都市国家の名前で呼ばれており,それぞれに独自な音楽様式をもっていたことが知られる。 8~10世紀にかけては中央アジアの大部分がイスラム化し,10世紀のファーラービー,11世紀のイブン・シーナーといった音楽理論家は中央アジアの出身者であるが,アラブ音楽の理論家としてのみ知られている。…
… だが音楽を発展させてきたのは,改革精神に満ち,外来音楽をも貪欲に摂取してきた俗楽の方である。古代の胡楽,近代の洋楽などの受入れは,楽理,楽曲や楽器においても,巧みに中国的な取捨選択,改良,発展を行い,中国化してきた。その過程で伝統は墨守せず,改革することでこそ継承できるという観念が育った。…
※「胡楽」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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