千保川(読み)せんぼがわ

日本歴史地名大系 「千保川」の解説

千保川
せんぼがわ

庄川の旧本流。金屋岩黒かなやいわぐろ(現庄川町)舟戸口ふなとくち用水となり、中野なかの(現砺波市)で千保・柳瀬口やなせぐち用水と合して戸出といで町を通り、高岡町の南の瑞龍ずいりゆう寺付近より西へ曲がり、川原かわら宮の後を通って高岡町で小矢部川に合流する約二〇キロの河川。庄川は金屋岩黒村で西北西に流れ、野尻のじり川筋を流れていたが、しだいに東遷して千保川筋が主流となった。天正一三年(一五八五)の大地震および寛永七年(一六三〇)洪水で、弁才天(現庄川町)の西より東へ方向を変え中田なかだ川へ落ちるようになった(「加越能三ヶ国絵図被仰付候覚書」加越能文庫)正保四年(一六四七)の「越中道記」には、中田村より戸出村への道程を記し「千保川深サ三尺幅三拾間、歩渡リ」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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