千町ヶ沖
せんちようがおき
福井平野の北西部、九頭竜川と丹生山地、三里浜砂丘とに挟まれた三角形をなす低湿地帯。九頭竜川西岸の現福井市と坂井郡三国町にまたがり、昔は深田であったというが、現在は耕地整理がなされてその面影はない。慶長六年(一六〇一)の由木照盛・大町直政連署状(林文書)に「小和田沖隣郷之村々三拾三ケ村御高壱万四千五百石余之所」とあるのが、のちの千町ヶ沖と思われる。「越前国名蹟考」に「沼・深田 千町か沖といふ、(中略)小幡千町か沖と称して此村より木下・波寄・水切辺、浜の方は島・白方・米納津等の村々沼を取廻す、但過半は波寄村の田地のよしなり」とある。
元禄年間(一六八八―一七〇四)波寄村・白方村と米納津村(現坂井郡三国町)との地境争いに端を発して、幕府にまで公訴した「どす池」(沖田四万四千五六二歩)はこの一部と考えられる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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