千葉氏胤(読み)ちば うじたね

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「千葉氏胤」の解説

千葉氏胤 ちば-うじたね

1337-1365 南北朝時代の武将
建武(けんむ)4=延元2年5月11日生まれ。千葉貞胤(さだたね)の子。足利尊氏の家臣。観応(かんのう)の擾乱(じょうらん)に際し,足利直義(ただよし)を駿河(するが)(静岡県)薩埵(さった)山に追い,上杉憲顕(のりあき)らを討ち,また新田義宗笛吹(ふえふき)峠でやぶった。歌をよくした。貞治(じょうじ)4=正平(しょうへい)20年9月13日死去。29歳。通称は千葉介。

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367日誕生日大事典 「千葉氏胤」の解説

千葉氏胤 (ちばうじたね)

生年月日:1337年5月11日
南北朝時代の武将
1365年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

[生]1936.2.20. 千葉,臼井プロ野球選手,監督。佐倉第一高等学校から立教大学を経て,1958年に東京読売巨人軍(読売ジャイアンツ)に入団。右投げ右打ちの強打の三塁手として,入団 1年目に本塁...

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