日本歴史地名大系 「升屋町」の解説 升屋町ますやちよう 滋賀県:大津市大津町升屋町[現在地名]大津市浜大津(はまおおつ)二丁目・長等(ながら)三丁目浜町通より北国海道(西近江路)に通じる通りにある両側町。升屋町組一六町の東端にあり、「輿地志略」には桝屋町とある。文政元年(一八一八)幕府御用金四千両を米商・両替商の鍵屋五兵衛が負担、慶応元年(一八六五)大津宿役を負担する役家は二八軒であった(大津市志)。当町の商人には元禄一五年(一七〇二)当時京都御所御用達商人の和菓子業丁字屋播磨(遠藤文書)のほか、文化面で業績を残したものが多い。 升屋町ますやちよう 京都市:下京区稚松学区升屋町下京区高倉通五条下ル三丁目南北に通る高倉(たかくら)通(旧高倉小路)を挟む両側町で、町の中央を東西に六条通が通る。平安京の条坊では左京七条四坊一保一町北側、平安中期以降は六条高倉小路の地。院政期以前には、町の東半分は棗苑にあたり、西半分には修理大夫六条顕季邸があった(柿本影供記)。また、応永三二年(一四二五)一一月一〇日付の酒屋交名(北野天満宮史料)に「六条高倉西南頬」に「伯耆」の名がみえる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by